2019年10月25日金曜日

石狩金沢駅

石狩金沢駅は、札沼線非電化区間に入って一駅目にある無人駅。昭和28年に製造された車掌車を改造した小さな待合室がある。

※2020年5月7日(最終営業は同年4月17日)を以て廃止されました。


石狩金沢駅は国道275号線沿いにありながらも、駅舎は国道と逆側。利用者の民家は国道と逆側に点在しているのだろう。近くにはふくろうの湯という温泉があり、魅力的な場所である。

知来乙駅から乗車したキハ40 400番台2両編成の石狩当別行きは間もなく石狩金沢駅へ到着する。

小さな踏切の先に石狩金沢駅が近いことを示す黄色い駅名標識が現れた。さてどんな駅なのだろう?

列車は速度を落とし、駅構内へ入る。砂利ホームと車掌車待合室のコンビからなる典型的な北海道のローカル駅のようだ。

下車したのは私一人であった。

30秒ほどの停車の後、2両編成の石狩当別行きは石狩金沢駅を後にした。石狩金沢駅の待合室は地面の高さにあるので、ここから列車の下回りを含めて写真を撮ることが出来た。

お隣の北海道医療大学駅へ向けて、エンジンを吹かせていく。2両編成は石狩当別駅到着後に分割され、後ろ側の402番は折り返しの浦臼行き、先頭の401番は、その後の折り返し新十津川行きとなる。

石狩金沢駅のホームから新十津川方面を眺めてみる。まわりに人工物は少なく、緑が多い。

駅名標は札沼線ならではの庇付き。「ほっかいどういりょうだいがく」のステッカーは1981年に北海道医療大学が開業したときに貼られたと思われる。北海道医療大学駅は驚いたことに仮乗降場として開業したそうで、wikiを見ると現在の日平均乗車数は1,700人(2014年)とのこと。今は電化までされていて、仮乗降場出自の駅としては最も発展した駅ではなかろうか。

ホームの駅舎側は砂利が盛られただけになっている。札沼線には良くあるホーム形態で、これを見ると土砂降りの雨などで肩が崩れないかと素人ながらに思うのだが、そうならないような工夫があるのだろう。

待合室の横には駅名標が立っている。この駅名標、なんだか普段と違う雰囲気があるなと見ていると、平仮名が使われていないことに気づいた。このような駅名標はここで見るのが初である。

車掌車のテールライトは片側だけ残っていた。近くで見ると実に大きい。

車掌車待合室には、東京 日本車輌 昭和29年という銘板があった。これだけ古い車掌車待合室は貴重かもしれない。

出入り口となるデッキは木製のまま。


待合室は、白く化粧された板で覆われている。窓際の塗装の剥がれ具合が経年を表しているかのようだ。


窓と窓の間には、フックに掛けられた駅ノートがある。ローカル駅には無くてはならないもの。駅への様々な思いが書かれていて、とても面白い。

天井が低いせいか、蛍光灯には格子がついていた。室内に保管されているスノーダンプなどは取っ手が長く、ふとした拍子に蛍光灯に当たってもおかしくない。


下り7本、上り8本の列車がやってくる。廃止予定の区間としては比較的多い方ではなかろうか。


待合室を出て駅前を探検してみると、まずは目につくのがこの小さな小屋。ケーブルハウス札幌信号通信区とあり、札沼線の信号関係施設のようだ。車掌車待合室の前にはコンクリートの基礎があるので、昔の駅舎の位置とサイズが想像できる。当時は車掌車待合室の場所に線路があり、その前に木造駅舎があったのだろう。


駅前には数軒の民家が道路に沿って並んでいる。

駅前道路の突き当たりは日帰り温泉の入り口となっていた。

温泉の名は開拓ふくろふ乃湯。源泉掛け流しの温泉とあって、非常に惹かれる。この時は時間の都合上行けなかったのだが、是非とも堪能したかった。

さて列車の時間になり、ホームへ上がるとキハ40 402の浦臼行きがやってきた。

石狩当別駅で相方の401番と切り離され、単行でやってきたキハ40系402番。この列車に乗車して次の目的地、札比内駅を目指す。

乗車直後には運賃表に石狩金沢駅の表示が残っていた。車内は通勤客がそこそこ乗っており、朝らしい列車の様相を見せていた。


2019年10月18日金曜日

知来乙駅

札沼線 知来乙(ちらいおつ)駅は、北海道樺戸郡月形町にある無人駅。駅は広がりのある麦畑に囲まれていて、静かで落ち着いた場所にある。木造の小さな待合室の存在と相まって、とても雰囲気の良い駅である。

※2020年5月7日(最終営業は同年4月17日)を以て廃止されました。


北海道医療大学駅から石狩月形駅の間、札沼線と国道275号線は寄り添うように走る。それぞれの駅も同様に国道275号線のすぐそばということが多いのだが、この知来乙駅だけは少し離れていて、交通流の音がほとんどしない閑静な空気を保っている。


月形温泉ホテルに宿泊した翌朝、自力で知来乙駅までやってきた。踏切が鳴ると札幌方からキハ40がやってきた。この列車は送り込みの回送で、石狩月形の始発列車となる。


札沼線非電化区間で回送という表示を見るのは何だか意外な感じがする。苗穂からやってくるのであれば、回送でなく、営業列車になってくれれば札沼線のプランニングに幅が出るのになあ。と、鉄人目線で考えてしまう。


回送列車は淡い朝日をうけつつ、知来乙駅を通過していく。この列車の折り返しとなる石狩当別行きに乗車する予定である。


こちらが知来乙駅の待合室。こじんまりとしたサイズ、落ち着いた色合いは、周囲の景観に良く溶け込んでいる。


待合室の周りには、プランターに植えられた花々が色鮮やかに咲き誇っていた。このような駅に巡り会うと実に癒やされる。大事にされている駅なのだろう。


水色に塗られた木の窓枠には雪囲いがつけてあった。知来乙の積雪量は窓まで達し得ることを意味している。

続いて待合室へと入ってみる。古めかしい青い木製ベンチがあるのが素晴らしい。色合いから下灘駅のベンチを思い起こさせる。プラベンチが並んでいるより、やはりこちらの方が良い。


待合室の奥にはトイレが備えられている。トイレのない無人駅が多い中、有難いことである。

窓枠は昔ながらの木枠。この待合室が建てられた当時から、そのままの姿なのかもしれない。

JR札沼線の愛称は学園都市線。非電化区間の沿線には月形高校や新十津川農業高校があるのだが、それでも定期利用者は少ないのだろうか。廃止の決断に至ったのは、それを受け入れざるを得ない利用状況なのだろう。


知来乙駅の隣は石狩月形、その隣は札沼線の駅で魅力No.1の豊ヶ岡である。石狩月形のスタフ受け渡し、豊ヶ岡や知来乙の訪問など石狩月形の周囲は魅力的な駅が多い。


知来乙駅は、非電化区間でも比較的本数の多い区間にある。


ローカル駅にはお約束の駅ノート。

待合室から線路を眺めてみる。ホームへは花のプランターに誘導されるように右側にある。

駅前の踏切からは知来乙駅ホームの全景を撮影することができた。ホームはコンクリート製で3両分くらいの長さ。

ホームから眺めた周囲の景色は、ご覧の通り大変長閑で落ち着く。

学園都市線こと札沼線の駅名板は立派なもの。上側に蛍光灯でも差し込めそうな雰囲気である。

やがて列車の時間になると時間通りに上り石狩当別行がやってきた。この列車は札沼線非電化区間で唯一の2両編成の列車である。

2両編成の石狩当別行きはキハ40独特のブレーキ調整エアの音を縦ながらじっくりと慎重に停車する。

知来乙駅からの利用は私のみであった。最後に窓を開けて知来乙駅を眺める。廃止が決定していたこともあり、この光景をしっかりと目に焼き付けた。

乗車した上り石狩当別行きはいくばくかの高校生が乗車していたが、車内は空いていた。青いボックスシートに揺られ、石狩金沢駅を目指した。


2019年10月12日土曜日

石狩月形駅


石狩月形駅は札沼線非電化区間において唯一の列車交換設備を備えている。石狩月形から新十津川の区間はスタフ閉塞形式を取っており、この区間には通行証となるスタフを持った列車一本しか入ることが出来ない。そのため、石狩月形駅には駅員が常駐していて、スタフ授受の光景が見られる。北海道でスタフ閉塞が使われているのはこの区間のみである。

※2020年5月7日(最終営業は同年4月17日)を以て廃止されました。

石狩月形駅は北海道樺戸郡月形町にある。札幌から近いため日帰りで十分行ける距離にある。札沼線のほか、岩見沢駅との間に路線バスもあるので、こちらを行程に組み合わせることもできる。


石狩当別駅から最終列車で石狩月形へ向かう。車両は札沼線お馴染みのキハ40 401である。ガラガラの車内でボックスシートでくつろぎながら至福の時間を過ごす。


間もなく、終点の石狩月形へ到着する。乗客は自分のほか、もう一名のみであった。


石狩月形へ到着した最終列車。構内にキハ40のアイドリング音が静かに響いている。


私ともう一人の乗客を降ろして暫くすると、新十津川サイドのテールライトが点灯された。翌朝の上り一番列車となるため、夜間停泊をすると予想したのだが、そうではなく、回送列車として札幌方面へあっさりと発車していった。転線の様子など見られるかと想像していただけに拍子抜けしてしまった。


最終列車を迎え、本日の役目を終えた待合室。駅員配置駅だけあって、ストーブが備えられている。北海道の駅はストーブが有る無しだけで随分と雰囲気が変わるものだ。


この日最後の利用客として駅を後にする。本日の宿泊は月形温泉である。ゆっくりと温泉に浸かるのが楽しみである。


さて、こちらの写真は昼間の駅の様子。この時はお隣の豊ヶ岡駅で下車した後、自力でやってきた。


折しも浦臼駅がやってくるタイミング。改札口には浦臼行き改札中の札が掲げられていた。


スタフを持った駅員氏がホームへと上がる。毎日繰り返されるこの光景も札沼線非電化区間廃止とともに見納めとなってしまう。


やがて浦臼行き普通列車がやってきた。この時は車両運用の都合か、キハ40の400番台(エンジン強化タイプ)でなく、700番台(ノーマルタイプ)が運用されいた。積雪期でなければこのような場合があるのだろう。


スーッとキハ40の独特のブレーキエア音を立てながらゆっくりと到着する。駅員氏は直立不動で列車の到着を迎える。

スタフが運転士さんへと受け渡される。これで列車は石狩月形から先へと入線できる。

スタフの印は□。

4名ほどの乗客を降ろした下り列車が、間もなく発車する。浦臼方面へ向かう乗客は僅かで列車は空いていた。


交換駅らしくポイントの多い構内をゴトゴトと音を立てながら石狩月形を後にする。

昼の待合室も列車到着前後を除けば大変静粛である。窓枠は木製で昔ながらの姿を留めている。

石狩月形駅は駅員配置駅ということで、窓口が現役である。ここでご当地入場券や常備軟券を購入することができる。

札幌までの乗車券を購入。札幌までの料金で最遠は白石や手稲まで行けるようで、両駅が記載された切符となっていた。常備軟券は今となっては貴重である。また、豊ヶ岡駅のご当地入場券もここで購入した。「豊かな林の中に佇む小さな駅」とあるキャッチコピーはじつに共感できる。


晴れ渡る冬の朝、列車交換する401と402の兄弟。
(J氏提供の写真)


駅前には岩見沢行きのバスが停まっている。路線バスは駅との相性が抜群で、実に絵になる。この瞬間とアングルを捉えるJ氏の腕に脱帽。

※J氏撮影の写真(Picture from J氏)の使用、転載はお断りします。


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