2019年9月8日日曜日

宗太郎駅

日豊本線、宗太郎駅に停まる列車は、一日に僅か1.5往復のみ(2019年現在)という九州随一の秘境駅である。訪問時は雨が降っており、しかもその中を片道は重岡駅から8kmの道のりを自転車移動と過酷な条件であった。苦労して到達した宗太郎駅への訪問は非常に思い出深いものとなった。

この駅へ訪問するには、朝に延岡側から上り列車でやってきて15分ほど滞在した後、下り列車で延岡方面へ戻る以外は現実的ではない。しかし駅訪問に際して15分の滞在とはあまりにも短い。今回私が立てたプランは夕方に佐伯から出る重岡行き区間列車を利用、そして重岡からおよそ8キロを自力移動(折り畳み自転車)し、宗太郎駅へ到達する。帰りは20時台の上り佐伯行き列車を利用する。これなら宗太郎駅で正味1時間以上は過ごせる。


出発は佐伯駅。夕方の重岡行き区間列車に乗り込む。815系二連はガラガラの状態で出発を待っていた。


出発までに乗車したのは、自分を含めた鉄人2名、高校生5名のみと寂しい状況。近くにいた高校生に尋ねてみると、「この列車はいつもこのくらい(の乗車)です。」とのことであった。部活動がある学生は最終の19時台の列車を利用するそうだ。


上岡駅で1名の鉄人が下車し、入れ替わりに5名の高校生が乗車してきた。直川駅で5名が下車。そして終点の重岡駅で降りたのは、私のほか高校生5名。佐伯から重岡まで、のべ乗客数は12名と寂しい状況であった。


重岡駅へ到着する間際になり雨が降ってきた。この日の大分県南部は降ったり止んだりとハッキリしない雨模様であたが、いざここから自力移動というタイミングで本降りとなってしまった。


重岡駅前のトイレの軒下で折り畳み自転車を組み立て、出発の準備を整える。上半身用の雨合羽を持ってきてはいたが、宗太郎駅までのおよそ8キロの間、カメラや貴重品などが濡れないかが心配の出発となった。


重岡駅は宗太郎越えの分水嶺のあたりに位置し、宗太郎駅までは国道10号線の下り坂一辺倒となる。その点自転車でのアクセスは有利である。途中に民家は一切なく、二桁国道とは思えないほど車は少ない。およそ8キロの間、すれ違ったのはトラック1台、追い越していったのは乗用車3台のみ。降雨の中、人気の無い夕暮れの寂しい山間を一人でペダルを漕いでいると、日豊本線が運休になったらどうしようと不安を覚えずにはいられなかった。雨で下半身と靴がビショビショになりながら、無事に到着した宗太郎駅への入り口。


夕闇の迫る中、なんとか周囲の景色が見られる時間に到着することが出来た。私の到着を迎えてくれるかのように、幸いにも雨が一旦止んでくれた。


こちらが宗太郎駅の駅前風景である。駅舎は無く、電話ボックスがポツンと立っているのみである。この電話から電話を掛けてみたくなり、財布に残っていた10円玉2枚を使って鉄旅の先輩であるJ氏へ電話を掛けてみた。


宗太郎の集落には数軒の民家がある。佐伯市議会議員の方のブログを拝見すると、2016年の時点で5世帯10名の住民が在住とのこと。


宗太郎には佐伯市のコミュニティバス宗太郎線の設定があった。表記によれば2019年現在、木曜日の運行で前日までに予約(2本目以降は当日1時間前まで)すれば利用できるようだ。(宇目タクシー、54-3759)
木曜日ならば朝の列車でやってきて、このバスを利用して重岡駅や佐伯市宇目地区まで抜けることが出来る。かなり限定的とはいえ、鉄道以外の公共交通機関を利用することも可能である。


昔あった駅舎の存在をアピールするかのようにラッチが残っており、そこに運賃箱と運賃表が据えられている。ここが紛れもなく駅の出入り口である。


運賃箱とあるが、実質的には切符回収箱ではなかろうか。この区間は車掌乗務のある普通列車が運行されているので、運賃収受は車内で可能だ。


駅舎はないが、トイレはある。軒下に掲出すべき時刻表やポスターなどはトイレに貼られている。


列車は上下合わせて僅かに3本。大分方面の列車に乗車すれば、その日のうちに列車で宗太郎へ戻るのは不可能である。牛山隆信さんの「秘境駅へ行こう!」による列車到達難易度は20点満点で19点となっており、まさに合点。因みに20点満点がつけられたのは、札沼線の浦臼駅から先の末端区間にある一日一往復区間にある駅である。


「宗太郎」と何故に人名のような地名がついたのか。wikiによれば、この近辺を管理していた洲本宗太郎という人名からとったとのこと。有力豪族の姓が出身地の地名と一致する例はよくあるが、Givenネームが地名になっている例は珍しい。


夜の帳が降りてきた。1番線から大分方面を見ると、出発信号から先は全くの暗闇に包まれていた。


ホームには787系の停車位置を示す表記がある。現在この駅に停車するのは787系の普通列車のみである。この部分だけホームがかさ上げされているが、787系の乗車位置は先頭車両の後ろ側ドアなので、かさ上げ位置は乗車位置とズレている。これは以前運行されていたキハ220のドアに合わせたものであろう。


駅構内は数々の照明に照らされていて、とても明るい。雨に濡れたせいか、遠くに見える延岡方の出発信号の赤現示がレールや架線に映っている。ホーム上の待合所は2番線の延岡方面ホームのみにある。列車ダイヤを見ても、宗太郎駅利用者は佐伯市民とはいえ、実質的には延岡方面への利用が主であると思われる。


跨線橋を渡って2番線へと行ってみる。


2番線の待合所には恐らく駅ノートがあるだろうと期待して跨線橋の階段を降りてみる。


2番線から眺めた構内風景も実に良かった。駅には誰も居らず独り占め状態であったことも手伝って、ついつい写真の枚数が増えてしまう。


787系の特急にちりん号が、速度を抑えながら2番線を通過していった。宗太郎駅に滞在中ホッとしたのは特急列車が何本も通過していたことで、降雨による運休が無いことを示していた。


短い4両編成のにちりん号はテールライトと輝かせながら宗太郎駅を後にしていった。ここからまた暗闇の中を延岡へと走っていく。


2番線には待合所がある。ここは屋根付きのため、雨がちであった訪問時にはオアシスのような場所であった。


待合所にはメッセージが記入された石がところ狭しと並んでいた。丸っこい石が柔和な印象を与えていて、違和感がない。


木製ベンチの端には駅ノートがある。秘境駅としては有名な駅であるためか、箱の中身は充実していた。駅ノートを見ると延岡方面から朝の列車を利用してやってくる訪問者が多いようであった。私も一筆啓上。


待合所で駅ノートを読みながらひと時を過ごしていると、止んでいた雨が再び降りだした。最後に乗車する列車の写真を落ち着いて撮れるだろうと期待していたが、そうも行かなくなってしまった。


佐伯行き普通列車は雨の中、時刻通りにやってきた。駅構内を照らす787系の前照灯は非常に明るく、列車が一層頼もしく見えた。


停車位置を確認するかのように、ソロソロと停まろうとする787系佐伯行き。乗降者は自分のほかになく、デッキで2名の方々がこの駅の様子を撮影されていた。乗り込んだ際に1名の方とお話しをしたが、宗太郎駅訪問の達成感からか早口で多弁になっていたと思う。


乗車した上り佐伯行き普通列車は4両編成。うち先頭車両(4号車)のみが利用できる。この時の乗客は20名ほどであった。後ろ3両は締切とのこと。一方の下り延岡行きについては、先頭車両が半室グリーン席となっていて、この列車に限り、車内でグリーン券を買えばグリーン席の利用ができるようだ。


佐伯駅へ到着した普通列車。湿気が高かったのかカメラのレンズが曇ってしまった。これはこれで雨天後らしくて思い出に残る写真なのかもしれない。

佐伯駅に到着後、駅の目の前にある「白龍」で温かいラーメンを食べると、宗太郎駅訪問の達成感と相まって、とても幸せな気持ちになった。しょうゆとんこつと言うのだろうか、博多ラーメンとは異なるとんこつラーメンであった。非常に美味しく、餃子に加え、替え玉も注文。食べたのは「Neo佐伯ラーメン」。

宗太郎駅への訪問は満足度の高い思い出となった。ぜひともチャンスを見つけて再訪したい駅である。



2019年9月1日日曜日

小沢駅

函館本線小沢駅には大きな魅力が2つある。一つは「トンネル餅」で人工甘味料や人工着色料を一切使わない、甘みのあるお餅。そしてもう一つは古くからの姿をそのまま留める跨線橋である。トンネル餅を製造・販売する末次商会のおかみさん曰く、跨線橋を撮影するために小沢駅へ訪問する人もいるとのこと。価値ある跨線橋は確かにそこにある。

小沢駅は、函館本線の山線区間と呼ばれる長万部~小樽の区間にある。倶知安駅の隣で列車の本数は比較的多いので、訪問しやすい駅といえよう。トンネル餅を販売する末次商会は駅のすぐそばにある。

銀山駅から乗車したキハ150単行の倶知安行きは、稲穂峠を越えて間もなく小沢駅へと到着する。広い構内はここから分岐していた岩内線の名残である。

到着したキハ150からは、私の他にもう一人若者が下車した。

倶知安行き列車はまたここから一つ峠を越えて、倶知安へと到達する。山線はアップダウンの多い、厳しい山岳路線である。

ホームには古めかしい跨線橋が利用者を待ち受けている。

跨線橋の入り口には筆書きの標板が掲げられている。長くここにあるのか、下の方は文字がかすれてしまっている。

側壁はパネルで化粧されているが、屋根を見ればこの跨線橋が如何に歴史あるのかが容易にわかる。屋根をささえる梁もまた古い木材で構成されている。

跨線橋には小沢駅駅員一同と画名の入った、素晴らしい絵画が掲げられている。画才のある方が代表して描きつつも、皆が筆を入れたのだろうか。描かれている神仙沼は共和町を代表する観光地である。

機会を見つけて行ってみた神仙沼。その景色はご覧の通り。木道が整備された森と湿原を歩いた先に神仙沼がある。沼のほとりで過ごす時間はまさに癒やしそのもの。

跨線橋を渡り、駅待合室のある旧一番ホームへと降り立つ。振り返れば木目そのままが見られる跨線橋があった。

旧1番ホームは岩内線が発着していた。それを示す標柱が立っている。

跨線橋から降りる階段の小樽方は、木枠の窓が残っていた。残念ながら跨線橋の階段は倶知安方にしか降りられず、この写真部分は利用することが出来ない。今や短い普通列車のみが発着するのみとあっては、階段は片側で十分なのだろう。

待合室は至ってシンプルでプラベンチが並んでいる。発車時刻表の脇に駅ノートがある。書き込みを見るとトンネル餅を目当てに来る人が多いようで、買うことが出来た喜びが様々な表現で記されていた。私も同じくトンネル餅についての書き込みを完了。

駅前にはたけだ旅館がある。末次商会の女将さん曰く、SLが走るときにはこの旅館は常に満室だったそうだ。C62の復活運行が終わり、C11の運行も途絶えてしまったいま、このあたりを訪れる鉄道ファンは減ってしまったのだろうか。

駅からすぐそばの末次商会のお店。トンネル餅はここで買うことができる。

購入できたトンネル餅がこちら。加えて岩内線のサボストラップや小沢駅の駅名標ストラップも購入。こういったものを見るとついつい財布の紐が緩む。

小沢駅から乗車した列車内で食べたトンネル餅。ほんのり上品な甘さが実に素晴らしい。保存料などは一切使っていないので、消費期限は製造日(買ったその日限り)である。まさに現地でしか食べられない貴重な一品。小沢駅へ行く際には是非とも買いたい一品だ。

末次商店の店内には昔の写真などが多数掲げられている。女将さんはとても話し好きな方で、昔のことをたくさん話してくれた。岩内線の分岐駅ということもあり、駅職員が30人もいた時代もあったとか。

列車の発車時間が近づき、跨線橋を渡ってホームへと向かう。跨線橋から見えたのは美しい青空と広い構内であった。

やってきた小樽行き列車は後ろにキハ150を従えたキハ40 823。キハ40好きとしては先頭車両に乗りたかったが、混雑していたこともあり、後方のキハ150に腰を下ろした。小樽へ向かう列車内で食べたトンネル餅は格別に美味しかった。
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