2019年5月18日土曜日

鎮安駅

台湾屏東線の鎮安(Zhen'an)駅は1時間~1時間半に一本の普通列車(区間車)が停車する無人駅である。2017年の日平均乗車数13名とのことで、利用客は少ない。周囲は数軒の民家や畜産施設があるくらいで、果樹園に囲まれた農村地帯である。

過去には支線の東港線が分岐する駅として機能し、1940年に開通してから1991年まで旅客輸送がされていた。1980年6月8日に宮脇俊三先生がこの駅に降り立ち、鎮安駅の助役さんと日本語で会話をした後、ここから当時現役の東港線に乗車されている(台湾鉄路千公里)。いまは無人駅となり、駅舎は無いものの、風情のあるホーム上屋と東港線廃線跡を見ることができる。


内獅駅から乗車した3514次潮州行き区間車はガラガラであった。途中の枋寮駅から多少の乗車はあったものの、1両あたり10名もいない状態で北上していく。


機関車の次位には荷物室を備えた電源車がつながれており、客車側から荷物室を見ることが出来た。ネット上の情報を調べるに乗車した3514次区間車は現役の荷物輸送営業列車のようで、荷物室には3つの物品があった。


荷物室の中央に鎮座していたのは、車内物品輸送とおぼしき金属の箱と、スターバックスの紙袋。これらはセットなのか、一緒にされていた。スターバックスの紙袋はコーヒーとも思えず、何だか気になってしまう。


もう一品は自転車。自転車を輪行袋に入れずとも列車で移動できるというのは素晴らしいシステムだと思う。輪行は自転車をしまう手間がかかる上に、スペースを大きくとってしまうのだ。


列車は目的の鎮安駅へと到着した。先頭付近には2両の機関車と電源車が連なっていて、連続してディーゼルエンジン音が轟いている。


電源車の後ろ側に目をやると、荷物を意味する「行李」という文字が見える。まさにこの車両が日本で言うマニ・カニに相当している。


私とJ氏を下ろした区間車3514次は、客車列車らしいジェントルな加速をしながら潮州へ向けて出発していった。


真っ直ぐに伸びたプラットフォームは6・7両分の長さはある。使われなくなり、線路が剥がされた対向ホームは、ここから支線が分岐していたことを伺わせている。


ホームから線路越しに目をやると、たくさんの白い鳥が確認できた。これはどうやら養鶏場のようだ。


駅の上屋は鉄骨造である。見た目からして、昔からのホーム上屋がそのまま現役で使われているようだ。


駅の入り口からホームには多少の距離がある。ここには昔側線などがあったのだろうと想像する。現在使われているホームは、過去には島式ホームとして1面2線の役割を担っていたのではなかろうか。


駅前を走る道路は、南北に走る線路と平行している。北側に目をやると、建物は一切見当たらない。宮脇俊三先生の描写には”広々とした水田や溜池のなかの閑散とした駅であった”とある。当時から家屋などは少ない駅であったことがうかがえる。


南側には畜産施設を備えた建物がある。動物の声からすると養豚場のようだ。


駅の南側に出ると踏切があり、その脇には小さな建屋が備わっている。踏切保安係がここで安全確認をしていたのだろうか。


やがて踏切が鳴動し始めると、南行き自強号がやってきた。優等列車らしく颯爽と駆け抜けていく。


踏切のそばには、東港線の線路がそのまま残っていた。レールバイクなどでそのまま観光転用できそうな気配である。東港には大きな魚市場があり、また景勝地の琉球嶼へ向かう船が発着するなど旅行者の興味をそそる町である。東港線が現役だったら、とついつい思ってしまう。


東港線の線路は、本線へ接続する直前の部分だけ剥がされている。この部分以外は良い状態で残っているので、廃線でなく休線ではないかと勘違いしそうになる。


2016年10月27日の自由時報によると、屏東県政府がこの東港線の復活を検討している模様だ。鉄旅好きとしては、この線路が光る日が来ればなどと、ついつい期待してしまう。


乗車予定の区間車潮州行きに乗るため、駅へと戻る。鎮安駅は東港線廃線跡など見所があり、1時間の滞在時間は瞬く間に過ぎていった。やってきたのは、自強号に使用されるディーゼルカー。乗車したのは私とJ氏のみであった。


自強号でないことを示すためか、窓にはわざわざ区間車を示す張り紙が貼ってあった。日本にも特急用車両を使用した普通列車がそこそこあったのだが、今は随分と減ってしまった。過去には東京7:24発伊東行き普通列車に185系が使われていて、何度もお世話になったものだ。

空調の効いた車内で快適な座席に身を任せ、潮州駅へと向かった。


※J氏撮影の写真(Picture from J氏)の使用、転載はお断りします。



2019年5月11日土曜日

内獅駅

台湾南廻線の内獅(Neishi)駅は、1日に上下2本ずつのみの普通列車が停まるローカル駅である。中文の情報を確認すると、2017年の年間乗車数は150人、下車数は241、乗車数を一日平均するとたったの0.4人である。内獅駅は長年にわたって台湾最少乗客数の駅として君臨してきたようだ。

そんなこともあってか、鉄道ファンの訪問が多いようで、「乗客よりも多くの鉄道ファンがいる」(2016年12月3日自由時報)と記事にされている。こういった駅に魅力を感じるのはどこの世界でも鉄人達共通なのだろう。私もその一人としてJ氏とともに朝の列車を使って内獅駅へと向かった

内獅駅は台湾南方、屏東県にあるローカル駅である。南廻線の列車はこの駅から坂をあがり、高台から海を見下ろすように南下していく。

早朝の枋寮(Fangliao)駅から普通列車(区間3501)台東行きに乗車する。潮州(Chaozhou)駅を始発とするこの列車は枋寮(Fangliao)駅で暫しの停車後、南廻線へと入っていく。


列車はガラガラで、乗車した車両は貸し切り状態であった。この車両は復興号(フッコウ号 Fu-Hsing Hao)向け車両であり、リクライニングシートにエアコン完備と充実した車内設備である。列車の最後尾には電源車兼荷物車が連結されていて、非電化区間でも安定的な電気供給が成されている。


列車のドアは自分達で開け閉めする。


客車の先頭へ来てみると、ドアが開いていて、R100型機関車を間近出見ることが出来た。無骨な外観は機関車らしい逞しさを感じさせる。


連結器は日本と同じ自動連結器。日本の客車列車の場合、機関車と客車の間に遊間が出来て、発車時にドンという衝撃が伝わる場合があるのだが、台湾ではそのようなことはなかった。


区間3501列車は枋寮(Fangliao)駅から2駅、時間にして12分ほど走ると目的の内獅(Neishi)駅へと到着した。下車したのは、私とJ氏のみ。乗車客はいなかったようだ。


R100型機関車はけたたましいエンジン音を立てて発車していった。このエンジン音は遠くまで届きやすいのか、列車が去った後もしばらくはホーム上で聞こえていた。


最後尾は電源車。荷物室がついているので、日本のブルートレインでいえばカニに相当する。


駅本屋は立派な鉄筋コンクリート建である。日あたり上下2本ずつしか停まらない駅にしては、意外なほど立派である。


この駅の線形はゆるやかな円弧を描いていて、私の好きな線路風景である。ホームには瓦張りの立派な上屋が備えられていた。


ホームと駅本屋とは構内踏切で結ばれている。踏切といっても鳴動しないので、自分で左右確認をしっかりとする必要がある。停車本数は少なくても通過列車の多い路線である。


ホームから駅へと入る段差の所に大理石の踏み石が備えてあった。駅舎へと迎えられたような気持ちになる。


駅舎内はガランとしていて、ベンチなどはない。窓や扉もないので、常時風が吹き抜ける状態である。風雨が強いときは少々大変かもしれない。


駅舎内は比較的広々としている。清々しいほどに何も置いてないだけに実にスッキリとしている。


内獅駅は1992年10月に開業し、約1年後の93年11月に無人駅となるまで簡易駅として有人であったとのこと。当てられた鉄板はかつての窓口を表しているのだろうか。


列車はご覧のとおり、上下2本ずつのみ。近くの主要駅である枋寮駅への通勤・通学利用が主かと思いきや、枋寮駅から戻る列車の最終が午前中なので、そうでもないようだ。

こちらが駅舎の全景。中々立派な建物である。


こちらは駅前の様子。駅の目の前には、片側2車線の一級道路台1線があって、車がそこそこ走っている。そのため秘境感は弱い。


道路にでると近くには「内獅國小」バス停があった。路線バスは1時間に一本程度走っているようで、利便性ではバスに軍配が上がる。

国道を少し南に歩き、線路をくぐった先には内獅の中心部がある。


道路の脇には家々が立ち並び、比較的賑やかである。


内獅駅の脇には小学校へアクセスするためと思われる歩道橋がある。


歩道橋へ上がってみると、果樹園を背景にした内獅駅の素晴らしい景色が待っていた。緩やかな曲線の線形とあいまって実に良い絵である。


通過する自強号を歩道橋の上から撮影してみる。J氏とともに私も挑戦したのだが上手く撮れない。ここは撮影技術の卓越したJ氏の写真を拝借し、迫りくる自強号を掲載させてもらう。


歩道橋を降り、駅と果樹園を隔てる道路を歩くとレンガ造りの遺構が現れた。昔の水路なのだろうか。ポツンと残った姿がとても良い絵になっている。


ぐるりと駅のまわりを一周してホームへと戻ってきた。朝の上下列車を利用することで、ちょうど良い滞在時間を確保することができた。


やってきたのは、3514次潮州(Chaozhou)駅行き区間車。機関車の回送を兼ねているのか重連形態でやってきた。この列車を牽引するのは復刻塗装を纏うR100型の初号機であった。


編成が長いせいなのか、先頭の機関車はホームをはみ出て停車した。この列車に乗車したのは私とJ氏の2名のみ。下車客はいなかった。

内獅(Neishi)駅は計画中の恒春線の分岐駅となる予定である。恒春線はここから墾丁国家公園へと計画される路線で、開通すれば多くの観光客が利用することが予想される。そのときには、内獅(Neishi)駅の雰囲気も今と全く変わっているのだろうか。その時代が来ても、今回のように客車列車に乗って訪問してみたいものだ。


※J氏撮影の写真(Picture from J氏)の使用、転載はお断りします。



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