2016年12月30日金曜日

北一已駅

留萌本線北一已駅は深川から一駅目にある棒線駅である。駅名は「きたいちやん」と読むのだが、ついつい「きたいチャン」と読んでしまっていた。深川駅でこの駅までの往復切符を買おうとしたとき、「きたいチャンまで往復切符をお願いします」と窓口氏に伝えたら「”きたいちやん”ですね」と、はっきりと名称を答えていた。難読駅である。

この駅には木造駅舎が残っている。wikipediaを見ると、深名線の宇津内仮乗降場から駅舎を移設したとのこと。仮乗降場に駅舎があったのだろうか?と疑問に思ったのだが、この仮乗降場は元々有人駅であった宇津内駅が降格したため、駅舎を持っていたようだ。となると、北一已駅の駅舎は宇津内駅が開業した昭和16年に建造されたものなのかもしれない。

雪原にポツリと佇む北一已駅。
静かで良い雰囲気を保っている。


深川駅と秩父別のほぼ中間に位置する。
周囲は広大な田畑が広がっている。

深川駅から留萌本線に乗車する。
車内は帰宅する学生さんで盛況であった。

いよいよ北一已駅へ降りるときがやってくる。

下車して慌てて撮影したキハ54 505。
車体が斜めに写ってしまった。
降りたのは私一人であった。

列車は闇夜へと消えていく。


こちらはホームから見た深川方の様子。
はるか遠くに街の灯りが見える。

こちらは留萌方面。
レールの先は真っ暗である。
秩父別までの間はしばらく田畑の間を走るようだ。

これがホームから見た北一已駅舎。
何とも良い雰囲気である。

木造駅舎にホーローの駅名板が良く映える。
駅舎の壁面は化粧板が張られている。

駅舎からホームを見上げる。
この日は月が綺麗に見えていた。

この日は晴れており、月と雪と駅が良くマッチしていた。

駅前はご覧のとおり、何もない。
道路を左手にいくと数軒の民家がある。

比較的新しい建物と思える民家はあるのだが、
灯りは点いていなかった。

 駅舎の中は、あまり更新の手が加えられた感じはせず、
昔のままの雰囲気が残っている。

ベンチが木製であるというのがまた嬉しいところだ。

ローカル駅には欠かせない駅ノート。
一通り写真撮影を終えて、列車を待つ間、
駅ノートを見るのが楽しみな時間となる。

深川駅から210円区間と決して遠くない。

駅に掛けてある時計にはきたいちやんの駅名標が貼ってあった。

一時間ほどの滞在後、私が乗る上り列車がやってきた。
寒い日であったので、列車の到着が待ち遠しかった。

今回は夜の訪問となったが、雪化粧した駅舎は夜でも美しく、充実した時間を過ごすことができた。今度は夏期か昼間に来てみたいものだ。

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深川駅へ戻ってきた。
深川駅には中線を挟んでキハ54が並んでいた。
このような光景が今まで見たことがなかったのでついつい撮影。

















2016年12月25日日曜日

急行「はまなす」B寝台乗車記

最後の定期急行列車であり、定期客車列車であった「はまなす号」。利用しやすいダイヤ設定から、北海道と本州との往来には欠かせない移動手段の一つであった。寝台車と座席車の混成編成は寝台特急とは異なる夜行急行列車ならではの組成で、古くは利尻、大雪、まりも、だいせん、ちくま、能登、さんべ、かいもん、日南など、客車夜行急行といえば混成編成の方が多かったのではないかと思うほど、日本各地を走っていた。このような混成編成は多様な需要形態に応じていて、乗合列車の鑑とも言える存在であった。

かつては間合い運用で、はまなすの座席車両が快速海峡の運用に入るなど精力的に運用されていた時期もあったが、昼行の青函輸送は電車特急化され、最後は夜行仕業のみとなった。

下りはまなす号の青森から札幌まで乗車したときの記録をここに残したいと思う。この日の指定席、寝台席は完売であった。

 
急行はまなす号が電光掲示板に現れる時間となった。
津軽線ではなく、津軽海峡線に表示されているところが良いと思う。

はまなす号の入線風景。
DE10に牽かれた列車が静々と入線してくる。
   
 
 3番線に到着した、はまなす号。
まだ入れ換え状態ということか、テールライトは片方のみ点灯している。
今宵はまなす号をエスコートするのはED79 20号機である。

函館運転所の札が入ったED79。
青函連絡の大動脈を支えてきたこの機関車も
はまなす号の終焉とともにその役目を終える。 

 本州に居ながらにして、札幌という行き先表示を見られるのが嬉しい。
青函トンネルは偉大である。

 今宵、世話になるのは増21号車である。
 車番はオハネフ25 3。
3番ということで、数ある24系25型の中でも古参の車両である。

24系の車内はデッキから室内へ斜めに入るような
独特の設計となっている。
ベッドの方向と限られたスペースを活用するために
このような形態となったのだろう。

 
開放B寝台がずらっと並ぶ車内。

 通路には簡易椅子が設けられていて、車窓を楽しむことができる。
開放B寝台ならではの設備だ。

 今宵の寝床は13番下段(写真左)である。
衣紋掛け、毛布、枕、浴衣が綺麗に整えてある。
向かいに来たのは親子連れで、
お父さんが上段、お母さんと小さな男の子が下段であった。
寝台へ来たときに挨拶を交わした。
こんなやりとりは開放型寝台ならではである。

 こちらは上段の様子。
上段は上に照明があるせいか、その空間が広々と感じられる。

上段へ上がる梯子は折りたたみ式になっている。

 窓際のテーブルには栓抜きがある。
瓶の飲み物を持ってきて試せば良かったと思う。

 自分の寝床に腰掛けてみる。
読書灯が優しく輝くベッドは暖かみがある。

発車まで時間の余裕があったので、車内探検に行ってみる
 こちらは簡易リクライニングの自由席車両。

普通指定席料金で利用できるカーペットカー。
実に有り難い存在である。

ドリームカーこと、元グリーン座席を利用した
指定席車両の車端部にはミニラウンジが設けられている。

こちらがドリームカー。
大きくリクライニングする座席なので、夜行利用には有り難い車両である。
元々は札幌・釧路を結ぶ急行まりものために導入した車両のようだ。

最後尾スハフ14のデッキ風景。
優等列車用車両の証であるピンク化粧板が配されている。

 夜行列車とあって飲み物のの自動販売機が設置されていた。

 こちらは懐かしき昔ながらの洗面所。

 はまなす号は緩急車が途中に挟まっているので、
テールマークをデッキで拝むことができる。

 発車時刻が迫る中、最後尾のスハフ14を撮影。
車内のユーティリティーを支える発電機が鳴り響く。

青森駅発車時の後方展望動画
         0:52 ドア締め
         1:28 発車
         2:43 ハイケンスのセレナーデ 車内放送開始
         5:08 青森車両区通過
         5:39 車内放送終了 ハイケンスのセレナーデ

蟹田駅では運転停車があり、列車無線のやりとりを聞くことができた。 

          車掌  201列車**どうぞ

          運転士 201列車運転士ですどうぞ
          車掌  201列車蟹田発車
          運転士 201列車蟹田発車
               短い汽笛
 
列車が青函トンネルに入るやいなや、
湿気のためか窓が結露した。

北海道へ入ると泉沢にて運転停車。
ここで貨物列車と交換する。

 列車は定刻通りに函館駅へ到着した。

 
ここからはDD51 1100号機が札幌駅まで列車をエスコートする。

  1100号車は重連可能タイプの後期車両である。

 

 がっちりと連結されたはまなす号。
ここからは進行方向が変わるため、座席車両が先頭方になる。

 
乗客達は函館での待ち時間で思い思いの時を過ごす。

 ワイヤーに吊られた乗車位置標。
列車のドア位置によって簡単に位置変更が出来るので
弾力的に対応できる、優れた表示方法である。



 
ドアランプは煌々と輝いていた。 


 カーペットカーの外観ははまなす号の中で異彩を放っている。
 

函館方の先頭へ戻ってみると既にDE79が切り離されいた。
てっきり機回し線を使って五稜郭へ回送されたものだと
思っていたので、ここぞとばかりに撮影する。



ED79 20は日立製作所でED75として製造され、
 昭和62年にED79へと改造された。


 銀色に輝く銘板には昭和50年9月製造の文字がある。
函館駅での撮影を終え、ベッドに潜り込んだ。


 翌朝目を覚ますと列車は千歳線を快走しているところであった。
最後尾へ来て後方展望を眺める。
 

 朝の千歳線を滑るように走るはまなす号。
旅情溢れる夜行客車列車からの車窓は
快速エアポートから見るそれとは違って見えてしまう。
 
 
平和駅付近から札幌駅到着までの車窓。  
         1:25 汽笛
         1:40 平和駅通過 
         2:47 汽笛 
         3:18 白石駅通過 
         3:46 ハイケンスのセレナーデ 
         6:08 ハイケンスのセレナーデ 
         6:09 苗穂駅通過 
         8:58 汽笛 
         9:43 札幌駅をラッセル車が発車 
         9:52 札幌駅到着

 
列車は定刻通りに札幌駅へと到着。
 青森、函館と札幌との距離はかなりあるので、
この列車のように寝ながら移動できてしまうのは何とも便利である。

 
最後に自分が乗車したオハネフ25 3を撮影する。
横になって移動できる寝台車はやはり良いものだと思う。

 
先頭ではDD51が手稲への回送仕業を待っていた。


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