2022年2月19日土曜日

赤井川駅

[読み] あかいがわ
[路線] JR北海道 函館本線
[隣駅]   大沼公園(3.7km)←赤井川→(4.8km)駒ヶ岳
kmは営業キロ
[位置] 北海道茅部郡森町字赤井川

石谷駅から始まり、本石倉銚子口流山温泉池田園と訪問した道南駅巡りの一日目。この日最後の訪問駅は赤井川である。降り立った赤井川駅は静粛で秘境感があり、期待以上の良さがあった。

赤井川駅は駒ヶ岳の麓の森の中にある。地図上は国道5号線と近い。けれども、実際は車の音が気になるような距離ではなく、至って静粛な秘境駅である。

池田園で下車した後は、歩きと小走りを繰り返しながら、大沼公園駅までやってきた。ここから一駅乗車して赤井川駅へ向かう。
 
大沼公園駅には駅員が配置され、みどりの窓口もある。一大観光地の駅だけあって、待合室のベンチが多く、また綺麗で落ち着きのある内装となっていた。
 
大沼公園駅から赤井川、さらに赤井川から函館駅までの切符を買う。赤井川駅までの発券をお願いすると、駅員氏は「赤井川ですか?」とちょっと驚くような様子であった。大沼公園から普通乗車券で赤井川へ行く人は滅多にいないだろう。
 
 
18:13、定刻通りに普通長万部行きキハ40 1805がやってきた。2名が下車し、自分を含めた旅行者2名が乗車した。
 
一駅乗車のため、前方のデッキに立って赤井川駅まで過ごす。

前方に信号の赤、黄が見えている。赤井川駅の場内信号である。赤井川駅到着間際になると、地元の方一名もデッキに出てきた。お聞きすると定期利用とのことで函館まで利用しているそうだ。赤井川で自分以外の人が降りるのは珍しいらしい。レストランケルンの事をお聞きしている内に赤井川駅へ到着。

デッキでお会いした地元の方は迎えに来ていたご家族の車で駅を後にした。お別れの挨拶をした後、自分は鉄モードに入る。乗ってきた普通列車は下り特急北斗19号の待避のため、8分間停車する。この時間を利用して赤井川駅とキハ40を撮影。

自分以外にも旅行者が何人かホーム上へ降り、思い思いの時間を過ごしていた。列車の前照灯が点き、間もなく発車する。
 
18:26、定刻通りに長万部行きが発車。私はというと、およそ2時間後の20:31発函館行きで赤井川駅を出発する予定である。赤井川駅の訪問にこれだけの時間をとったのは、ここから歩いて10分強のレストランケルンで夕食をとるためでもある。

2番線から眺める赤井川駅の待合室。

待合室のある1番線と2番線とは構内踏切で結ばれている。

こちらが赤井川駅待合室。交換設備のある駅だけあって建屋は比較的大きい。保線員の詰所としての機能もあるようだ。

待合室内は綺麗に清掃がされていた。

4個のプラベンチが2組、向かい合うようにして配されている。

運賃表と時刻表。赤井川駅の本数は多くないとはいえ、朝から夜まで万遍なく列車がやってくる。待避が無い場合は、上下ともに1番線から発車する。

壁には角2型の茶封筒が設置され、そこに駅ノートが入っている。自分もここに一筆残した。ご当地ハンバーガーで有名なラッキーピエロへ行ったという書込も見られた。駅から歩いて10分ほどで、ケルンやラッキーピエロ、その他にも評判の良いレストランがある。赤井川駅へ来る際には食事をとる予定を組み込むと良いと思う。

除雪スタッフの募集ポスター。交換設備のある駅では雪対応のために人を配しなければならず、鉄路の管理には労力を要する。

待合室の上側には、隣の部屋から続く煙突がある。ロックされた隣の部屋は、主に冬期の保線作業員の詰所として使われているようだ。使用時にはストーブが炊かれ、配管が暖まると待合室も暖まるのだろう。

赤井川駅を後にしてレストランケルンへと足を向ける。赤井川駅から100mほどは真っ暗なダートを進む。一人だと心細い暗さであった。

国道5号線へ出て200mほど歩くとレストランケルンがある。大変評判の良いお店で楽しみにしていた。銚子口から流山温泉まで歩き、また池田園から大沼公園までも歩いたので良い具合にお腹が空いている。

オーダーしたのは贅沢にも黒毛和牛のサーロインステーキ200gとCセット(ライス、味噌汁、漬物、コーヒー)で、税込合計6,860円也。一食でこんな贅沢をするのは、初めてである。普段節約生活をしている分、たまにの旅行先ではこんな贅沢も良いではないかと、自分に言い聞かせる。

ステーキソースを垂らすと、食欲をかき立てる香りと音が騒ぎ立ててくれる。味は勿論最高で、うま味が凝縮されたような牛肉であった。ステーキは結構な値段がするけども、ハンバーグは1000円程度と注文しやすい価格。隣の人はカツカレーを頼んでいて、運ばれてきた一品を見るとこれまた大変魅力的であった。この日は土曜日。レストランケルンは家族連れで盛況であった。

食後はコーヒーで締め。素晴らしく充実した時間を過ごすことができた。

会計を済ませてレストランを後にする。営業時間は火曜日~金曜日11:30~18:00、土日祝11:30~19:30とのこと。平日の閉店時間は早いので注意が必要。

赤井川駅へ向け、人気の無い道路を一人歩いて行く。ここで遭遇したのが一匹のかたつむり。ドットをつけながら前進していた。

赤井川駅へ戻ってきた。10月といえど、日が暮れると中々冷え込む。暗い夜道を一人で歩き、構内照明の輝く赤井川駅へ到着すると何だかホッとする。

駅へのアクセス路を振り返ると写真のような感じで暗い。街灯がある分救われるものの、人家は100m以上先まで無く、森の中の秘境駅といった感じだ。

北斗20号が通過。

乗車予定の20:13発函館行きが時刻通りにやってきた。暗い森の中から現れるキハ40の前照灯が非常に明るく、頼もしく感じられた。

キハ40函館行きは誰も乗っておらず、自分一人の貸し切り状態であった。

赤井川駅は周囲に人家が無く、森の中の秘境駅といった感じであった。国道と良い具合に離れていて、非常に静かでこの駅で過ごす時間はとても良い。レストランケルンでの食事も相まって大満足の訪問となった。
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こちらは鉄旅の先輩、J氏に提供してもらった昼間の赤井川駅の写真。静寂さが雪で強調されているかのような写真である。

J氏の列車は赤井川で特急待避のために長時間停車。森の中に佇む駅の雰囲気の良いこと!昼間の赤井川駅にも訪問してみたくなるような写真である。



2022年2月5日土曜日

名松線 乗車記

JR東海「名松線」は三重県松阪市京町と同県津市美杉町を結ぶ、鉄道路線である。市町村名でいえば、”松阪”と”津”を結ぶことから、一見輸送人数が多そうにも想像できるのだが、実際はJR東海屈指のローカル線で末端部の家城駅から伊勢奥津駅の輸送密度は僅か90人足らずという情報もある。そんな情報を目にすれば乗りたくなるのが鉄旅愛好者の性で、松阪から伊勢奥津までの全線を往復乗車してみた。


出発は松阪駅。ホームの規模に比して小さな気動車2両編成が出発を待っている。朝一番の家城行きは空いているのかと思いきや、出発時刻に近づくにつれ、どんどん乗車が増え、高校生を満載する列車となった。

そして家城駅へと到着。高校生が一斉に降り、皆駅の改札口へと向かう。恐らくは白山高校の生徒さんだろう。白山高校は2018年夏に甲子園出場を果たし、有名になった。

線路側から見る駅舎は木の質感がそのままに活きており、素晴らしい雰囲気である。木造駅舎に名所案内があり、駅員氏も居る。

高校生が降り去った家城駅は静けさに包まれた。昔ながらの木造の駅舎には窓口が健在。この駅はJR東海の駅員配置直営駅である。

家城駅舎の道路側はシンプルに化粧されている。向かった右側に待合室、左側には駅事務室が配されている。

駅員氏が松阪行きの発車を見送る。

2番線に停車中の列車は伊勢奥津行き。こちらに乗車して、終点の伊勢奥津を目指す。

発車間際になると駅員氏がスタフをもってくる。赤白の輪っかは授受がしやすいようになっている付属品で通票は一番下の皮ホルダに入っている。

スタフが運転士へと渡される。この瞬間からこの列車は伊勢奥津方面へと進入することが出来る。スタフ閉塞の区間は数を徐々に数を減らし、JR線では越美北線の越前大野~九頭竜湖と名松線の家城~伊勢奥津のみとなった。

運転台に置かれたスタフ。家城~伊勢奥津の通票は□である。

家城駅を出ると車窓は一変し、山間の谷筋を走る。

雲出(くもず)川に沿い、途中何度か川を渡りつつ、伊勢奥津へと向かっていく。

伊勢奥津行きの乗客は自分一人と貸し切り状態であった。車内にはキハ11 300番台のエンジン音のみが響き渡る。

所々で斜面が線路に迫ってくる。こういった所には落石検知の信号がある。

列車は深山幽谷を走って行く。紅葉も相まって素晴らしい景色が迎えてくれた。

余剰車両を活用してこの路線に観光列車が走ったら人気になるのでは?と思うほど山間の景色が風光明媚である。松阪駅「あら竹」さんの駅弁を堪能しつつ名松線の景色を楽しめたら何と素晴らしいことか。

比津駅の手前ではシカ3頭と遭遇。

比津駅の次は、終点の伊勢奥津駅。車内の料金表には最も遠いところで新宮駅が示されていた。

この日は雨がちであったが、山には良い具合に雲が掛かり、風情のある景色となっていた。

最後の区間で雲出(くもず)川を渡り、左岸側にある伊勢奥津の中心へと向かっていく。

緩やかな左カーブを曲がった先が終点の伊勢奥津駅。

伊勢奥津駅の先には車止めがある。奥には給水塔が残されていて、昔はSLがそこで給水していたことが伺える。

名松線の建設目的は、松阪と名張を結ぶことであった。名張までの延伸は頓挫し、細々とディーゼルカーが走る盲腸線として現在に至っている。

伊勢奥津駅の建屋は非常に立派である。待合室部分は右端で、他の大部分は津市の施設となっている。

復旧時に使用されたヘッドマーク。

給水塔が使用されたいたときの貴重な写真。名松線ではC11が活躍していたようだ。

伊勢奥津駅周辺は、風情のある建物が並んでいる。

立派な2階建ての木造家屋。

名松線建設当初の目的を受け継いでいた名張駅行きはたったの一本のみ。このバス路線は2021年3月限りで廃止となってしまったらしい。出来ればこのバスを利用して名張駅まで行きたかったのだが、名松線利用だと中々利用しにくく、諦めざるを得なかった。いずれ折り畳み自転車を使いつつ名張と松阪を結ぶ旅をしてみようか。

帰りの松阪行きは、自分を含めて4人の乗客であった。年配の女性2人、鉄分ありな中年男性1名、そして自分。

家城駅へ到着すると、スタフが運転士から駅員へと渡される。貴重な光景である。

スタフを渡して終わりかと思いきや、タイガーカラーのタブレットキャリアを列車側が受け取っている。調べて見ると松阪~家城は票券閉塞というスタフ閉塞に続行運転が可能な形態が加わった方式を採っているとのことであった。

この列車は▽印の通票をもっている。鉄旅の先輩J氏にこの方式の概要を教えてもらった。家城から松阪行きが2本連続で発車する場合、先行列車は家城駅で通票の代わりに代替通行許可証となる通券を渡されて松阪への進行が許可される。後発列車はこの写真のように通票本体を持って松阪へ向かう。先発列車は松阪へ着いた後、通券を回収されてしまうので、家城へ戻ってくることは出来ず、後発列車が到着するまで松阪で待機、もしくは名松線本線上から退出しなければならない。あくまで家城駅が通券を発行し、また通票を管理することで、家城~松阪は松阪方面行きの列車のみが存在するということが担保される。現在の名松線ダイヤでは続行列車が無く通券発行の機会は無いようだが、臨時列車でも走るようなことがあれば発行があり得る。チャンスがあれば是非とも見てみたいものだ。

松阪駅へと戻ってきた。松阪駅はKIOSK、駅弁屋、駅そば(うどん)の全てが現役であった。残念ながら、この駅そば屋さんはその後閉店してしまったらしい。

駅弁のあら竹で買ったのは「匠の技 松阪牛物語」。事前に新竹商店に電話を掛けて注文しておいた。松阪駅に乗り降りするからには、この駅弁を食べてみたかったのだ。

この駅弁は紐を引くと加熱され、暖かい状態で食べることができる。駅弁には松阪牛の証明書があり、正真正銘の松阪牛が入っている。スゴイのは脂分が多いであろう肉の下にある御飯に脂分がほとんど付着していないこと。普通に載せただけなら脂肪分がベタつきながら存在してしまうはず。どのような製法か想像もつかないがスゴイ工夫をしたものだ。味は期待どおり実に素晴らしい。値段分の価値が十二分にある駅弁である。名松線の旅のお供に如何だろうか。



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