2020年9月27日日曜日

驫木駅

五能線 驫木(とどろき)駅は、日本海を望む好ロケーションに、趣のある木造駅舎が現役ということで、魅力に満ち溢れた駅である。過去には青春18きっぷのポスターの被写体にもなっている。


駅は青森県西津軽郡深浦町にある。駅の西側には海が広がっていてホームから日本海に沈む夕日を堪能できる。

川部から乗ってきたキハ40の普通列車は間もなく驫木駅へと到着する。

木製枕木に継ぎ目のある単線とローカル線らしい前面展望に、驫木駅の標識が見えてきた。右側には日本海が広がるロケーションで、否が応にも期待が高まる。

そして到着。降りたのは私のみで、乗車する利用者はいなかった。午後の日差しを受けたキハ40越しに日本海が広がっている。

2両編成のキハ40がエンジンを唸らせて加速していく。

化粧なしの板張りそのままの外観。木目の質感そのままに落ち着いた雰囲気である。インターネットで事前学習してきたとはいえ、実際に行くとその良さが倍増するかのように感じる。単なる到達の満足感だけでなく、ロケーションや駅の魅力を肌で感じたからだろう。

この背景を見れば夕陽で有名になるのが頷ける。夕刻になれば日本海に沈む太陽を眺めることが出来るはずだ。次に来る機会があれば日没時間に滞在するようなプランを立てようと思う。

少し離れたところからススキ越しに駅を見下ろしてみる。周囲には目の前の民家一軒以外の建物は無い。ただし、国道がすぐそばにあり、そこそこ車は通るので静かな環境ではない。

駅舎には昭和27年3月表記の建物財産標があった。この駅舎が建ってから2020年現在で68年。JR東日本は古くなった駅舎の建替えを積極的に進めている印象があるが、驫木駅に関しては今のところ建替えのニュースは聞かない。旅情溢れるこの駅舎を今後も活かし、リゾートしらかみの停車などもやってくれれば、西の下灘と肩を並べる東の驫木となるのではないか?と勝手な鉄旅愛好者がつぶやいてみる。

こちらはトイレ。

お隣は風合瀬(かそせ)駅、追良瀬駅と魅力ある駅名が並んでいる。このあたりは海際を走るので車窓も良い。

驫木の「驫」という漢字はこの駅以外での使用を見たことがない。音読みは”ヒュウ”、”ヒョウ”とのこと。駅名の読み方から「轟」という漢字ではないかと思ったが、それはあくまでワタクシの勘違い。

ホーム上には日没方向を月別に示す標が立てられている。

日没時には駅舎の線路側は朱く染まるに違いない。

待合室はいたってシンプルである。掃除が行き届いていて大変快適に過ごせる。

驫木駅には駅ノートが備えてあった。映画男はつらいよの撮影場所になっていた模様で、それを偲んで来た人も多いようだ。

掲示板には何も貼られておらず少々寂しい。定期的な利用客はごく限られているのだろうか。結果的にブーという太文字が目立つことになっている。

駅ノートをめくりながら過ごしていると、いつの間にか乗車する下り列車の時間になっていた。この時は腕時計を持たずに旅に出てしまい、ついつい時間のチェックが疎かになっていた。列車入線時の写真を撮るどころか、列車到着の音で初めて気付いたのだった。慌てて列車に乗り込んで後方の駅の姿を残したのがこの一枚。

千畳敷駅の訪問を済ませて深浦へ戻ると、今度は路線バスを利用して夜の驫木駅を訪問してみる。投宿した深浦の田中旅館でゆっくり滞在しても良かったのだが、昼の訪問が良かっただけに夜の姿も拝見したくなったのだ。驫木駅のあたりはフリー乗降区間だったのか、運転手さんに驫木駅に一番近いバス停を訪ねると、駅の目の前で降ろしてくれた。

夜は国道の自動車が少なくなりとても静粛になる。そこには昼間とは異なった魅力があった。次に到着する深浦駅行の列車には下車客がいるようで、地元の車が待機していた。

誰もいないホームは煌々と照らされていた。

照明に照らされた木造駅舎が闇夜に佇んでいる。夜の驫木駅も実に素晴らしい。再び来て良かった。

この日は海が穏やかであったことも手伝って、駅舎内は一層静粛であった。ポツンと一人で贅沢な時間を過ごす。

昼間のミスを反省にホームで入線を待ち構えたが、うまくお面を捉えることができなかった。暗い場所での撮影は難しいものだ。それでも首都圏色の車両にサボの姿を撮影できたのは幸いであった。

やってきたのはキハ48の寒地型である505番。三駅間と短い乗車ではあるが首都圏色を纏ったこの車両に乗ることが出来て良かった。

深浦駅へ到着したキハ48 505。夜の驫木駅訪問に満足して田中旅館へと向かった。

こちらは鉄旅の先輩であるJ氏が驫木駅を訪問した時の様子。

この時は冬季で、日本海に白波が目立っている。J氏が訪問したこの日は、荒波が防波堤を越えて線路と道路にザッパンザッパン吹きかかる日だったが、列車は走っていたとのこと。何とも頼もしい。

列車が弧を描くように遠くへと去っていく。荒ぶる波を見ながらの五能線の旅も格別に違いない。冬季には冬季の五能線の魅力がありそうだ。

J氏撮影の写真(Picture from J氏)の使用、転載はお断りします。




2020年9月22日火曜日

一畑電車 デハニ50体験運転記

 一畑電車で長らく活躍してきたデハニ50は営業運転を終えて久しく、現在は体験運転用車両として動態保存されている。こんな骨董品的車両に乗れるだけでなく、運転体験までできるとあれば行くしかない。ということで鉄旅の先輩であるJ氏とともに雲州平田駅へと向かった。

参加したのは夕方の部。夕日を浴びたデハニ53がそこにはあった。これを自分のコントロールで動かすのかと思うとゾクゾクする。写真に写っている方は今回指導して下さった松本さん。


古い車両らしく大きなテールライトを備えている。連結器は自動連結器である。以前はバラスト散布の無蓋貨車を引き、工臨としての活躍もあった。現在この仕事はレールトラックによって行われているそうだ。


車庫の脇にある研修室で運転の講義を受け、いざデハニへ乗り込む。何とこの回は私とJ氏の2名のみという貸し切り状態であった。


ロングシート以外はほぼ原型を保っているようで、木製の柔らかい雰囲気に包まれるが如く。遙か昔に鶴見線で乗ったクモハ12もこのような車内だった気がする。こんな骨董品のような車両を運転出来る日が来るとは夢にも思わなかった。

こちらが運転台。配管がむき出しになっていて、どこがどこへと繋がっているのかが一目瞭然である。メンテナンスがしやすいようにという工夫なのかもしれない。

ここに座って運転する。写真上にあるマスターコントローラを引くと加速する。構内運転で低速走行しかしないため、加速は一番下のレベルまでしか出来ないようになっていた。2つのメーターを挟んで手前側にあるのがブレーキである。ブレーキハンドルを差し込んで操作する。

J氏が先に往路を運転し、私が復路を運転することになった。緊張の瞬間である。「出発進行」と一声し、ブレーキ圧を抜いてマスターコントローラを回す。吊り掛けの轟音とともにデハニがゆっくりと走り出した。第1回は奇跡的にブレーキ操作が上手くいき、ピタリと停止位置へ止めることができた。いやはや嬉しい。松本さんとアテンダントさんが褒めてくれるので尚更である。


お次は往路を運転する。今回も上手くいくかどうか・・・ゆっくりと走り、Bマークのあるブレーキポイントを過ぎたらブレーキ圧を1kgf/cm2に高める。


Bマークが見えた。ここだ!とばかりにブレーキに圧をかける。線路内に貼ってある停止目標でしっかりと止まれるだろうか。結果は残念でかなり手前で減速してしまい停止位置手前で止まってしまった。電車でGOならば減点だっただろう。ブレーキ圧が1kgf/cm2まで達したら、即座に「圧を保持」の位置へブレーキハンドルを変えるのだが、古い車両とはいえ空気が込まれるのはあっという間で、この保持に切り替えるタイミングを見極めなくてはならない。頭では分かっているつもりでも、中々難しいモノである。指導してくださった松本さん曰く、これが2両編成となるとブレーキのレスポンスが遅くなるので、操作が難しかったのだそう。


J氏が運転している間は動画を撮ったり、車内を撮影したりとこれはこれで忙しい。この車内に居ることが常に楽しいのだ。こんな鉄人の心を鷲掴みにするイベントをやってくれるとは一畑電車、最高である。写真の銘板を見るとデハニ53は昭和4年製とのことで、2020年現在で御年92才となる。


運転は一人4回(合計2往復分)できる。J氏と楽しんだこの時間は文字通りあっという間に過ぎていった。


つり革には昔の広告がそのまま残っていた。一畑パークとは、過去に存在した遊園地とのこと。

二人の運転回が終わるころには、日はとっぷりと傾いていた。ニス塗りの木目が光る車内は薄暮の時間帯になると、一層の雰囲気が引き立っていた。

最後に指導の松本さんが一番奥の位置にピタリと止めて終了する。この絶妙なコントロールは神業のようであった。

体験運転がこれほど面白いとは思わなかった。自分の操作で吊りかけ駆動の電車を動かし、込め、保持、解除のブレーキコントロールで止める。これがテクニカルで実に面白いのだ。この操作の面白さは旧型の電車だからこそだろう。一畑へ行く際には是非とも体験して頂きたい。

懇切なご指導とサポートを頂いた、一畑電車の松本さん、アテンダントさんにこの場をお借りして感謝申し上げます。


J氏撮影の写真(Picture from J氏)の使用、転載はお断りします。

2020年8月28日金曜日

千綿駅

長崎県を南北に走る大村線には、青春18きっぷのポスターの被写体となった千綿(ちわた)駅がある。木造駅舎に入り、ラッチからホームへと上がると大村湾が一面に広がる。大村線に乗るなら是非とも下車をお勧めしたい駅だ。



千綿駅は、諫早と早岐を結ぶ大村線のほぼ中間地点に位置している。地図から見てもわかるように、大村湾と徹底的につきあう路線で、大村湾の風景を堪能できる路線である


出発は諫早駅。幸運なことにホームで待っていたのは急行型カラーを纏ったキハ66・67のトップナンバーであった。大村線に乗る以上はキハ66系に乗りたかったので嬉しさ満点。この普通列車早岐行きに乗って、千綿駅を目指す。


こちらがキハ66の車内。化粧板のカラーは103系や113系のそれと同じようだ。昔東海道線で乗った113系を思い起こす、そんな車内の印象を受ける。


窓は上段上昇、下段上昇タイプ。車端部にある広告入れにフルムーンパスのポスターでも入っていれば、国鉄時代の雰囲気そのものだったかもしれない。

穏やかな水面をたたえる大村湾に沿って北上していく。素晴らしい車窓である。この日は良く晴れていて海を眺めるには最適の条件であった。

そして千綿駅へと到着。自分以外にも2名の高校生が下車した。

駅は緩やかに曲線のある線形にある。目の前は海とあって、ホームに立つだけで清々しい気分になった。こんな素晴らしいロケーションの駅は中々ないと思う。

この駅舎をご覧あれ!この駅はロケーションの良さもさることながら、駅舎も実に素晴らしいのだ。この風情ある木造駅舎あっての千綿駅である。

駅舎内にはレトロな空間が広がっている。荷物台が残っているほか、窓口も生きている。この時は営業していなかったが、簡易委託駅として普段は乗車券販売などもあるようだ。

ここでの往復券買ったら、裏が白色のきっぷ、すなわち硬券や常備券など来たら最高なのだろうが、ネットの情報を見ると数年前に常備券を買った方は常備券を手にしたようなので、もしかすると今も残っているかもしれない。私が行ったときには窓口が閉まっていたのが残念である。

駅前には丸ポストがあり、レトロな雰囲気を保たれている。JR九州は古い駅舎を活かした取組がとても上手で、魅力を感じる木造駅舎が多い。

駅舎の奥には一段高いホームがあり、その先には大村湾が広がっている。

ホームへ上がればご覧のとおりの景色が広がっている。こんな駅で時間を取れるなぞ、幸せなことである。

駅には3世代の家族連れが来て、暫しの時間を楽しんでいた。

駅の前後は緩やかなS字カーブを描く線形である。昔は多数の車両を連ねた客車列車が到着していたのだろうが、さぞかしこの駅の雰囲気とマッチしていたのだろうと想像する。気動車とはいえ、いまも国鉄型車両がこの駅へ毎日やってくる。キハ66・67が運用されている内に訪問したい駅である。

1時間ほどの滞在は瞬く間に過ぎ、乗車する佐世保行き普通列車がやってきた。運よくこの列車も国鉄型車両のキハ66系あった。

千綿駅のそばには交通量の多い道路が走っていて、秘境感は全くない。しかしそれを補って余りある駅舎とロケーションの魅力があり、オススメの駅である。いまは食堂が駅舎内に入っているらしく、しかも評判が良いらしい。いづれ再訪しよう。


javascript:void(0)