2017年12月10日日曜日

小幌駅

トンネルとトンネルに囲まれた僅かな谷間にある駅。特急列車に乗っていたら、注意深く見ていないとこの駅の存在自体に気づかないだろう。これが日本一の秘境駅の小幌(こぼろ)駅だ。長く憧れてきたこの駅への訪問をついに達成することができた。
この駅の凄さは降りてみないとわからない。山に囲まれ、隠されたような場所に位置していて、駅の雰囲気は他の駅とは一線を画している。ホームに降り立った瞬間に心の中で「これはすごい」という言葉が出てくる。この駅への下車は「訪問」よりも、「体感」という言葉の方が適切かもしれない。


小幌駅は長万部~伊達紋別のトンネルが連続する区間に位置する。

小幌駅の概略図を描いてみた。
小幌駅周辺は見所が多く、秘境感を得るだけでなく、
周辺散策の価値もとても高いと思う。
列車の待ち時間を利用して、
岩屋観音、文太郎浜、オアラピヌイへ行ってみた。

室蘭本線の東室蘭駅から長万部行きの普通列車に揺られること1時間。
間もなく小幌駅である。

この日の小幌駅は盛況で、駅訪問を目的とした30人近くが下車した。ほとんどが「一日散歩きっぷ」の利用であったようだ。日本一の秘境駅「小幌駅」であるがゆえに、このような需要を生んでいる。廃止危機を乗り越え、駅が存続しているお陰で私もこの駅に降り立つことができた。この駅を世間に広く認知させた牛山隆信さんのご功績はあまりにも大きいと思う。


乗客を降ろして身軽になったキハ150が駅をあとにする。


下車した人たちが、ちりぢりになり、
思い思いの散策を始める。
自分はまず駅に留まって
通過する列車を撮影することにした。

北海道らしいホーローの駅名板。

小幌駅の長万部方面ホームは鉄板できている。
上りホームがちょうど川の上を跨いでいるからであろう。

長万部方より駅全体を望む。
周囲に家屋や道路などが一切ない。
まさに秘境という言葉が相応しい。

下り線ホーム上には駅名板の脇に
駅ノートが入ったボックスがあった。
ここへ到達できた満足感と駅の感想を
この駅ノートへ記入した。
No.1秘境駅とあって、書き込みの数はやはり多い。
これを読むだけでも結構な時間を要すると思う。

ボックスには駅ノートのみならず、
「礼文華観光案内ちょい+」という冊子が入っていて、
小幌駅周辺のことをかなり詳細に知ることができる。
列車の待ち時間に読むことをオススメしたい。

写真右に見えるようにこの駅にはトイレがある。
秘境駅にはトイレの無い駅もある中で、これは
有り難いことだ。
写真左にあるのは待合室では無く、
保線関係の建屋のようで、中に入ることはできない

どうやら駅周辺はマムシがいるようだ。
ここで噛まれたりでもしたら、そう簡単には
助けに来てもらうことは出来ない。

構内踏切を渡って、東室蘭方面行きのホーム側へ行ってみる。
上下線の間には短い留置線のようなものがある。
保線用の工事車両を留置するための線路だろうか。

中線は上り線の長万部側から分岐していた。

興味深かったのが規格の異なる線路の結節で、
ごつい線路の枕木の位置を下げることで
線路の上面を合わせていた。


踏切が鳴り出してしばらくすると、
下りの貨物列車がやってきた。
凄い迫力である。


下り線は砂利ホーム。

踏切が鳴るとやがて、特急北斗がやってきた。
このホームにいて面白いのは、踏切が鳴る前から
列車の接近が分かることで、
トンネルから押し出されてくる冷風が、
列車のトンネル進入を知らせてくれるのである。
冬ならこの風が暖かく感じられるのかもしれない。

この時間帯は小幌駅に人が多いと想定しているのか、
思ったより速度を下げて通過していった。

次にやってきたのはスーパー北斗である。
皆一斉にシャッターを切る。

さすがは俊足のキハ281系。
こちらはあっという間に走り去っていった。

やがて普通列車到着の時が近づいてくると、
ホームに段々と人が集まってくる。


そろりそろりと顔を出したのは、東室蘭行きキハ150

私を除くの全員を乗せて発車していった。
これ以降はしばらく列車が来ないので、
周囲の散策を始めることにする。

これが駅前の風景である。
二手に分かれる道の内、
右に行けばオアラピヌイという岩へ、
左に行けば、岩屋観音や文太郎浜へ行ける。
まずは左手の道をとることにした。


目指すは岩屋観音。
比較的人が通るのかトレイルはしっかりしていた。

斜面にへばりつくようにして出来たトレイルを
上り下りしながら、進んでいく。
一人で歩く心細さか、ヒグマの出没におびえながら
歩いていた。尤も小幌駅周辺でのヒグマ出没情報は
今のところ聞いたことがないのが幸いである。


20分程歩くと、トレイルの途中から
小さな湾と桟橋を見下ろせる。
ここが目的地の岩屋観音である。

最後は急坂を下るため、ロープが設けられている。

坂を下りきるとこぢんまりとした入り江に到着する。

正面の洞窟内にあるのが岩屋観音である。
海の底がよく分かるくらいに海が綺麗である。

近くには豊浦町が設置した岩屋観音の説明書きがある。

入り江のほとりには岩屋観音の庫裡がある。

岩屋観音へのお参りをした後、
小幌駅へと路を返す。

小幌駅から次にむかったのは、オアラピヌイ。
駅を背にして右手に進んでいくと見えてくる。
海から突き出すように立つその岩は一際存在感がある。

オアラピヌイを間近でみるためにガレ場を降りて、
海岸へ出てみた。実に荘厳な岩だと思う。
海岸へ降りる斜面は足場が悪いので、
ここへ行く方は慎重を期されたい。

また駅へ戻り、最後に文太郎浜へ。
ジグザグの坂道を降りていくと15分くらいで到達できる。
広々として気持ちの良い海岸である。

滞在の2時間はあまりにもあっという間であった。
それほどこの秘境駅の時間は濃密であった。
この駅をじっくりと堪能したい場合は、
2時間くらいは欲しいところだ。
やがてやってきたのは嬉しいことに、
大好きなキハ40からなる二両編成。
ガラガラの青いモケットのボックスシートに陣取り、
窓を開け、
去りゆく小幌駅の風景を目に焼き付けた。





2017年8月26日土曜日

函館本線山線 キハ40乗車記

函館から旭川を結ぶ函館本線のうち、長万部~小樽の区間は通称「山線」と呼ばれ、その名の通り厳しい山越え区間となる。それだけに大型の蒸気機関車が全力で峠越えに挑んでいく様は北海道の蒸気機関車の名場面となった。今や幹線としての地位は室蘭本線に譲り、短いディーゼルカーの普通列車が一日数本行き来するだけの状態となったが、非力なキハ40が20‰の勾配を上っていく鉄旅はそれだけでも魅力十分である。今回長万部から小樽まで、途中下車しつつもキハ40の列車で乗り通す鉄旅をした。その記録をここに残したいと思う。キハ40の運用は基本的にキハ150とペアになる形で存在しているようで、このときは長万部発の一番列車が該当していた。

 
一泊お世話になった丸金旅館を出て、徒歩で長万部駅へ向かう。
この日は晴天で鉄旅にうってつけの好条件であった。
これから始まる旅に胸が高鳴るせいか、いつもよりも早歩きになっている気がする。
跨線橋を渡ると、出発準備を進める気動車達が見える。
今回乗車する山線の小樽行きは側線で前照灯を点けている列車である。
嬉しいことにキハ150の後ろにはキハ40がぶら下がっていて、
昔ながらの青いボックスシートで山線を堪能することができそうだ。
正面に見えるキハ40は室蘭本線の一番列車である。


 
長万部駅4番線に小樽行き普通列車が入ってきた。
 朝の列車らしく、編成は3両編成。 

長万部←キハ40 823・キハ40 822・キハ150 17→小樽
とする編成。
キハ402両とも未更新車両という、
古いもの好きの自分には嬉しい限りだ。

こちらは先頭のキハ150 17
キハ150の前面は柔和な印象を与えるが、朝日を受けてさらに柔和となっている。
この車両はデッキがないのが残念なところで、
冬期の長時間停車時はドア付近に居るとつらいものがある。


 
2両目のサボは長万部-小樽、3両目は長万部-倶知安-小樽となっている。
同じようで違うサボ。この違いは後ほど分かることとなった。
3両目へ倶知安で切り離され、
続行の倶知安発の普通列車として小樽まで行く扱いで、
この列車で直接小樽まで行くのは前2両である。

乗車したのは最後尾のキハ40 823
長万部から乗車したのは私一人のみであった。

札幌近郊をも走るためだろうか、羊蹄山側は1列シートに座席が改造されている。




定刻になり、長万部を発車する。

すぐに室蘭本線と別れ、日本海方面へと向かう。
窓を開けると心地よい朝風が入ってきた。


3両目には恐らく倶知安からの続行列車を担当するであろう、
運転士氏が乗っていて、通風器をカギ棒のようなもので開栓していた。

二股駅へ向け、トウモロコシ畑の中を進んでいく。
このあたりは直線区間でスピードが上がるせいか、

線路脇の草木が列車の走行風で煽られる。

あたかも草木からどうぞと言われんばかりに道が開けるようだ。
  


二股駅へ到着。貨車を改造した待合室駅だ。
こういった待合室は車掌車に出自を持つものが多いのだが、ここは有蓋車のようだ。

今はなき蕨岱駅へ到着する。
国道5号線を行き来する旅人達の一休みの場になっていたようで、

駅ノートへの書き込みの多様さが面白い駅であった。
 
 列車は小さな丘を越えて黒松内へ向けて下っていく。
山にかかる朝霧が早朝の列車らしい光景となっている。

 
黒松内駅に到着。比較的駅の規模は大きい。
以前は長万部と黒松内の間には区間列車が設定されていた。
黒松内での乗降はなく、列車はガラガラのまま進んでいく。

 黒松内駅を出ると列車は東へ向けて進路を変える。
のどかな農村地帯の車窓は癒やしそのもの。

 熱郛(ねっぷ)駅到着。
ひっそりとした駅だが、交換設備があり、しかも中線まである。
峠の手前駅だからだろううか。
駅名の由来を調べるべくWikiを見ると「クンネ・プ」(黒いもの)。
あるいは「ネプ」(流木)に由来するのだそうだ。
ところで「郛」という漢字は、この駅以外で見たことがない。
城の囲いである郭を意味する漢字のようだが、
よくもこの漢字を当てたものだと思う。
私が当て字を考えるなら「布」という字にしていただろう。

 熱郛駅を出る頃、空腹を感じてきたので、
丸金旅館で作ってもらったお弁当を食べる。
手作り感のあるお弁当はとても美味しかった。

 熱郛からは急勾配と曲線が続く峠道となる。
車両がうねりながら地形に逆らわずに登っていく。
旧型エンジンを搭載する後ろ2両のキハ40にとってはきつい坂だろう。
しかし先頭の150がぐいぐいとひっぱっているのか、
苦しさを感じさせないくらいのスピードで駆け上がってく。

 人家の全く見当たらないところを熊笹をかき分けるようにして進む。

 目名峠を越えて高度を下げていくと穏やかな田園地帯に入る。
人家が増え始め、目名駅へと向かっていく。

 目名駅到着。ログハウス形式の立派な駅舎だ。
ここからお隣の蘭越まで比較的穏やかな地形の中をゆく。

 目名に続くのは蘭越駅。長万部と倶知安の間で最も大きな駅である。

 蘭越駅で列車交換があり、暫しの停車時間をとる。
ここからどっと高校生が乗ってきた。
倶知安、小樽方面への通学圏に入ってきたようだ。

 しばらくして対向ホームに交換列車のキハ150がやってきた。

 蘭越駅の駅前はご覧のとおり、中々の規模である。
 
 
ここで最後尾のキハ40 823のご尊顔を撮影。
最後尾の823は倶知安で切り離されるということで、
蘭越から2両目の822に席を移すことにした。

 昆布駅到着。
面白い駅名だが、これもアイヌ語由来で海藻のコンブとは無関係のようだ。


水質の良さで知られる尻別川に沿って倶知安へ高度を上げていく。

正面には堂々たる威容を構えた羊蹄山が見えてきた。
さすが、別名蝦夷富士と言われるだけあり、存在が際立っている。
 
勾配標には22‰の文字がある。
目立った峠越えはない区間だが、
倶知安へ向けた上りは結構きついようだ。
これだけアップダウンの激しかった区間ゆえに、
D51C62が大活躍していたのが納得である。

比羅夫駅到着。
駅舎が宿を兼ねているということで一度は泊まってみたい。
駅の一角に薪が積んで有り旅行者の興味をそそる。

やがて羊蹄山の裾野全体が見えてきた。
倶知安は近い。

間もなく倶知安駅へと到着する。
山線の中心駅らしく線路の分岐が多い。

倶知安駅3番線に到着。
ここでは3両目を切り離すため長時間停車となる。

最後尾の823が切り離される。
この車両は長万部へ戻るのではなく、
この後の倶知安始発、小樽行き列車となる。

レールを曲げた梁に木製の屋根。
昔からの姿をそのまま残しているのであろう。
SL時代からこのままなのかもしれない。

駅前には日本一の水と命名された水がチロチロとが流れ出している。
山線を旅するならこの水を水筒に入れて旅をしたいものである。

私が小さい頃、家族旅行でこの駅にきた。
そのときと駅の雰囲気は変わっていないように感じる。
懐かしい場所である。

倶知安駅にはみどりの窓口もある。
活気のある駅である。

倶知安から一気に乗客が増えて車内は盛況だ。
北海道のローカル線の状況は厳しさが報じられるなか、
少々嬉しい事実であった。

小沢到着。
ここからもまとまった数の乗車があった。

小沢駅と銀山駅の間を行き来した際に、小沢駅で下車した。
そのときに駅前の末次商会で買ったのは、トンネル餅。
上品な甘さが絶品である。
化学的な添加物を一切使用していないので、日持ちはしない。
現地でしか食べられない貴重な餅だ。

小沢と銀山の間には稲穂峠があり、20‰の上りとなる。

稲穂峠をトンネルで抜けて、少し下ったところに銀山駅がある。
高原調のさわやかな雰囲気の駅で、私の大好きな駅の一つである。

下り坂を軽やかに駆け下り、然別を過ぎると余市駅へ到着する。
神威岬へ行くための入り口となる駅だ。

蘭島駅と塩谷駅の間には、
僅かに日本海を見ることができる瞬間がある。
函館本線は太平洋と日本海を両方みることの出来る唯一の?路線である。

塩谷駅を出て最後の峠を越えると終着の小樽駅へ到着する。
山線区間は本当に上り下りの多い路線であった。
ここにキハ40が活躍していることが驚きである。

一部区間混雑によりキハ150に乗車したものの、
こうしてキハ40の青いボックスシート揺られながら、
ほぼ全区間を鉄旅することができた。
今度来るときには比羅夫の宿に泊まりながら旅をしてみようか。
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