2026年9月21日月曜日

音威子府の駅そばを堪能する

[読み] おといねっぷ
[路線] JR北海道 宗谷本線
[隣駅]    筬島(6.3km)←音威子府→(4.6km)咲来
[位置]    北海道中川郡音威子府村音威子府
                44.729425N, 142.259871E

数ある駅そばの中でも、とりわけ有名だったのが、音威子府駅の駅そばである。そば殻をあえて練り込んだ黒い麺は、他では味わえない独特の風味と色合いで、多くの鉄道ファンやそば好きに親しまれてきた。しかし、かつての店主が亡くなり、さらに麺を製造していた畠山製麺も、ご主人の高齢化と創業100周年を一つの節目として廃業。これにより、麺を作る側と、駅で麺を茹でる側の双方がいなくなってしまった。こうして、名物「音威子府駅そば」は永遠に途絶えてしまったかと思われた。

ところが、2025年夏――。駅前でゲストハウスを営む竹本さんが、そんな音威子府駅の駅そばを復活させた。復活後の人気はすさまじく、わずか1年で2万杯を達成。しかも営業は週3~4日、11時から14時までという限られた時間帯である。それだけ多くの人が、この「黒いそば」の復活を待ち望み、そして実際に美味しいということだろう。

復活した駅そばを味わうため、音威子府駅訪問を必須項目として旅程に組み込んだ。

駅は村の名前を関する通り、音威子府村の中心に位置する。

兜沼駅から乗車した名寄行普通列車は大盛況。この列車は幌延駅で特急「宗谷」と列車交換を行うため、11時46分の発車まで13分間停車する。せっかくの長めの停車時間ということもあり、乗客の多くはホームに降り、それぞれ思い思いに時間を過ごしている。この時間帯の上り普通列車は、かなり以前から設定されている。かつて礼文島を旅行した際には、朝に香深港を出るフェリーからこの列車へ乗り継いだ記憶がある。しかし、現在はダイヤが変わり、礼文島からのフェリーとは接続しなくなっているようだ。一方、利尻島からの便とは接続が確保されている。せっかくの列車なのだから、フェリーとの接続がうまく取れれば、宗谷本線の利用者をさらに増やせるのではないだろうか。このあたりは、自治体が主体となってJR北海道とハートランドフェリーとの間でダイヤを調整するなど、もう少し連携が図られてもよいのかもしれない。ここから地元の若い学生さん2人、保育園児4名とその引率3人が乗車。

列車は廃止された上幌延駅を通過していく。車掌車を改造した待合室と駅名標は現役かと見紛うほどの状態で残っていた。

さらに安牛駅跡も通過。こちらにも車掌車改造の待合室が残っていた。位置はホームから少し離れたところに移されたようだ。

旧雄信内駅こと雄信内信号場を通過。糠南と幌延の間には、上幌延南幌延安牛雄信内と4つの駅があったのが、これらは利用者僅少のため廃止されてしまった。


雄信内信号場と糠南駅の間は天塩川右岸の斜面を張り付くようにして走る。この区間は時速45kmに制限されるので、車窓をしっかりと堪能できる。

そして秘境駅で有名な、糠南駅へ到着。ロングシート部分で窓を大っぴらに開けると、乗客の皆さんがちょっと撮って良いですか?と撮影に来た。どうぞどうぞと撮影してもらう。こんな風に窓を大きく開けられるのもキハ54ならではだ。

車内はご覧のとおり、旅行者で大賑わい。列車は多くの乗客を乗せ、音威子府へ向かって進んでいく。糠南の次の問寒別では、保育園児4名と引率の先生3名が下車した。10時03分の下り列車に乗り、幌延方面へ行ってきたのだろうか。宗谷本線では、どうしても旅行者の利用が目立つが、地元の方々にもこの昼前の列車が日常の足として利用されている。 その光景を見られたことが、何だか嬉しかった。

歌内駅跡を通過する。車掌車待合室が撤去され、草が生い茂っているので、ここに駅があったことを見逃してしまいそうだが、写真右側の青屋根の建屋は確かに現役当時にもあったものである。

13時過ぎ、列車は音威子府へと到着する。分岐器が右へと開かれ、列車は一番駅舎側の1番線へと入っていく。駅そばを目的とする乗客も多いようで、デッキには多くの人が出てきた。

音威子府駅へと到着。列車は13時16分の発車まで、およそ10分ほど停車する。すると、待ってましたとばかりに多くの乗客がホームへと降りてくる。皆さんのお目当ては、駅そばのようだ。昼時に音威子府駅を発着する列車は、この普通列車「名寄行き」か、少し早い時間に到着する特急「宗谷」稚内行きの2本。列車で駅そばを目当てに訪れるなら、これらの列車を利用するのが便利だろう。

お目当ての「駅そば」は、しっかりと営業していた。厨房では、竹本さんたちが忙しそうに蕎麦を茹でている。音威子府駅で、こんな活気のある光景をもう一度見たかったのだ。尤も、Instagramで営業日であることは事前に確認していた。それでも、どこか落ち着かない。というのも、旧店舗の営業時代には、営業しているはずの日を狙って訪れても、何度か休業に当たったことがあるからだ。

【メニュー】
・天ぷらレジェンド
・ねっぷそば
・かけそば
・お土産蕎麦

ここはやはり、かつての音威子府そばを彷彿とさせる「天ぷらレジェンド」を注文することにした。

容器はプラスチック製なので、車内へ持ち込んで食べることもできる。普通列車「名寄行き」が到着すると、乗客たちが次々と駅そばを注文していく。どうやら車内で食べる人が多いようで、この列車の到着後は、そちらの注文が優先されるようだ。店主の方からは、こちらが恐縮してしまうほど「すみません、ちょっと待ってくださいね」と何度も声をかけていただいた。しかし、私は15時29分発の上り「サロベツ4号」に乗る予定なので、まったく急ぐ必要はない。むしろ、こうして忙しそうに駅そばを作っている様子を眺めているのも楽しい時間である。駅そばはファストフードなのだ。この姿こそが駅そばである。やがて名寄行きの普通列車が発車時刻を迎えると、駅そばを手にした人たちが次々と列車へ戻っていく。さながら、駅そば列車とでも呼びたくなるような光景になったことだろう。なお、事前に連絡しておくことでスムーズに受け取ることも出来るようだ。

このそばをご覧あれ。黒い蕎麦に濃いめのつゆ、そして丸い天ぷら。まさに、かつての音威子府駅そばを忠実に再現した一杯である。そこには、先代への深いリスペクトがぎゅっと詰まっている。早速食べてみると、出汁の風味もよく、蕎麦にはしっかりとしたコシがある。これは実に美味しい。正直なところ、私の記憶では、先代の音威子府駅そばよりも美味しく感じた。かつての味を再現するだけでなく、そこに新たな美味しさを加えた一杯。復活した音威子府そばに感謝である。これは記念に食べにくる人だけでなく、リピーターもどんどん獲得するに違いない。

なお、こちらが先代のときの黒い駅そば。復活したそばは、かつての蕎麦を忠実に表現していることがわかる。あの懐かしい黒い蕎麦が、こうして再び音威子府の地で味わえることに、感慨もひとしおである。

美味しかったので、さらにもう一杯。今度は「ねっぷそば」を注文した。
蕎麦の上にどんと乗っているのは、巨大な麩(ふ)。「しっかりと汁につけて、十分に染み込ませてから食べてくださいね」とのことなので、言われたとおり、つゆをたっぷり吸わせてからいただく。これがまた、素晴らしく美味しい。昆布だしの効いたつゆをたっぷり吸い込んだ麩は、噛むと汁の旨味が口の中に広がる。
もちろん、蕎麦や卵、ネギとの相性も抜群。先ほどの「天ぷらレジェンド」とはまた違った美味しさを楽しむことができた。
兜沼でたくさん歩いたせいか、このときはかなり空腹だった。おかげで、駅そばを二杯も存分に堪能することができた。

ところ変わって、こちらの写真は東京の四ツ谷三丁目にある、音威子府TOKYOのそば。こちらも超絶美味しいので、おススメである。こちらのご主人は畠山製麺が廃業したあと、千葉の業者さんに依頼して特別にこの黒い麺を作ってもらっている。汁もスーパー美味しく、完飲したほどである。天ぷらも先代の音威子府駅そばを忠実に再現している。

13:16の列車発車後は、空いてくるかなと思っていたのだが、ひっきりなしにお客さんがやってくる。私が駅を出るまで客足が途絶えることは無かった。

音威子府駅は、近代的な大きな木造駅舎。清潔感があり過ごしやすい。

次のサロベツ4号まで、まだ時間の余裕がある。そこでGelateria the Green Grass(ジェラテリア・ザ・グリーングラス)というお店のジェラートを買いに行ってみることにした。こちらは音威子府村唯一の牧場である「明徳牧場」直営のお店だ。

注文したのは、「バニラ」と「ストラッチャテッラ」のダブル。これが実に美味しい。特におすすめしたいのがバニラ。スッキリとした味わいながら、しっかりとした深みもある。これまで食べたジェラートの中でも、ダントツに美味しいと感じた。音威子府駅を訪れたなら、ぜひこちらのジェラートも味わっていただきたい。お店は駅から徒歩5分ほど。駅そばを楽しんだ後のデザートにもぴったりである。

最後に道の駅に併設された、セイコーマートでコーヒーを頂く。ジェラートの後に飲むコーヒーは格別だ。

駅へ戻り、改札が始まるまでしばし休憩。駅そば店の営業が終わると、さっきまでの賑わいが嘘のように、待合室は静まり返っている。やがて、列車を待つ乗客たちがぽつぽつと集まり、それぞれ思い思いに時間を過ごしていた。

音威子府は、普通列車の始発、終着駅にもなっており、また全ての特急列車が止まるので、比較的本数が多い。

行先とのりばの案内は、木製の表示板。木工工芸が有名な音威子府らしさのある表示板である。この駅は駅員が配置されており、みどりの窓口も営業している。

跨線橋から駅構内を眺めると、改めてその広大さがよく分かる。広々とした構内には、かつて天北線が分岐していた主要駅としての面影が今も残っている。通常、駅舎に近い1番線は特急列車の発着に使われることが多いのだが、音威子府駅では1番線の有効長が短いため、特急列車は2番線または3番線に発着する。そのおかげで、普通列車の乗客にとっては駅そばへのアクセスがしやすい。列車が停車している間にホームから駅そば店へ向かい、蕎麦を買って再び列車へ戻ることもできる。音威子府駅ならではの、ありがたい構造である。

こちらは旭川方の構内。分岐が多く多くの車両を留置できるようになっている。奥に見えるのはスキー場。音威子府村はスキーも盛んで、アルペンスキーの「音威富士大回転競技大会」と、クロスカントリースキーの「クロスカントリー音威子府大会」が毎年開かれている。

大きな屋根のあるホームでサロベツ号の入線を待つ。そば、ジェラート、コーヒーとお腹も心も満たされながら、列車を迎える贅沢なひとときを味わうことができた。

サロベツ4号は定刻通りやってきた。名寄で下車するまでしばし特急の車内で寛ぎの時間。次の目的地は瑞穂駅である。



2026年9月20日日曜日

兜沼駅

[読み] かぶとぬま
[路線] JR北海道 宗谷本線
[隣駅]    勇知(5.8km)←兜沼→(15.0km)豊富 kmは営業キロ
[位置]    北海道天塩郡豊富町兜沼
                45.2203794N,141.6966765E

かつて北海道の特急車両は先頭車の前面貫通路まで立入がOKであった。3月のある朝、稚内駅から朝の特急「宗谷」に乗車した。貫通路から広がる道北の前面展望を楽しみながら、列車は抜海、勇知を通過し、やがて兜沼駅へ差し掛かった。雪化粧に包まれてた構内はどこか趣のある雰囲気に満ちていた。構内を通過する数十秒程度であったが、その光景が妙に印象に残り、「いつかこの駅に降りてみたい。」そう思ったことが、兜沼駅を訪れるきっかけとなった。

兜沼駅は北海道豊富町の発祥の地とされる場所にある。利用者が減少し、2021年4月からは豊富町が駅の維持費を負担する「町管理」の駅となった。JRの駅としての姿を残しながらも、地域の支えによってその存続が図られている。

天塩中川から乗車した朝一番の稚内行には、私の他に鉄人2名という全員旅行者であった。列車は問寒別を過ぎ、糠南駅へ向かっていく。

鉄人2名は、糠南駅で下車。この駅の雰囲気は他の駅を一線を画している。板張りホームと物置待合室、そして周囲の牧草地という風景が何ともいえず魅力的で、来る度に降りたくなる衝動に駆られる。今回も、糠南駅に停車しておりたくなる気持ちが湧いてきた。しかし、ここで降りると兜沼駅への訪問が出来なくなるため、ここは我慢。

糠南を出て、車内に残る乗客は私一人。20mの広い車内を独り占めする貸切状態である。これほど贅沢な時間があるだろうか。

糠南を出て雄信内信号場へ向かうこの区間では、列車は眼下に流れる天塩川を眺めながら進んでいく。宗谷本線の中でも特に印象に残る秀逸な車窓のひとつだ。窓を開けて夏の北海道の風を浴びながら車窓を楽しむ。

旧雄信内駅こと、雄信内信号場へ到着する。列車はここで上り普通名寄行と交換するため、しばしの停車。通常ダイヤだとすぐに交換して発車のはずが、この日は対向列車が遅れて図らずも15分も停車することとなった。先を急がない旅をしていた私にとっては好機で、雄信内をじっくり観察する時間を得たのだった。

かつてはここに立派な木造駅舎があった。抜海駅と並んで道北の巨頭とも呼ぶべき木造駅舎であったが、2025年3月15日を以て営業を終え、そして駅舎も撤去されてしまった。

こちらが在りし日の雄信内駅。大きな木造駅舎は風情たっぷりで、停車時間には多くの旅人がホームに降りて列車と駅舎を撮影していた。

2番線のホームは残っているものの駅名標は撤去され、枠だけが空しく立っていた。駅としての役割を終え、信号場であることを実感した光景であった。

15分ほど遅れてやってきた上り稚内5:22発名寄行。信号場を通過することなく、律儀に一旦停車してから発車していった。

雄信内を出て、次の幌延駅までは距離がある。ここで前日に札幌駅で買ったサンドリアの一番人気、ダブルエッグサンドを食する。なるほど、これは評判になるわけだ。スクランブルエッグ部分が柔らかすぎず、程よく具として存在感を持っている。また味付けも濃すぎず、かといって物足りなさもない。卵の風味が生きた実に絶妙な味わい。札幌駅を利用するときは、またこれを買おう。

サンドイッチを食べ終える頃、列車は幌延駅に到着した。ここで、いかにも「鉄人」といった雰囲気の中年の男性が1人、そして地元の高校生4人が乗車。私を含め、車内の乗客は6名となった。ところで、この列車はすでに15分ほど遅れている。そのため、豊富駅で交換する予定だった上り「サロベツ2号」を幌延駅で待ち合わせることになり、ここでも15分ほど停車することに。せっかくなのでホームへ出て、久しぶりとなる幌延駅の光景を楽しむ。結局、幌延駅を発車したのは7時32分。定刻から33分遅れての出発となった。

幌延から豊富に向けて、列車左手には宗谷本線でも最も広がりのある車窓を眺めることができる。何度通ってもここの景色は良いと思う。そして豊富駅へ到着。ここで15名が乗車。4名は地元の人、11名は高校生。車内が一気に賑やかになった。

次はいよいよ目的地の兜沼駅。前方デッキに出て下車へ備える。

兜沼で下車したのは、私一人。入れ替わりに2人の旅行者が乗車してきた。列車の到着を撮影していたので、このお二方は鉄人だろう。

兜沼駅は交換設備がある。かつては抜海駅にも交換設備があったが、抜海駅の廃止に伴ってその機能も失われた。現在、豊富~南稚内間で列車交換が可能な設備を持つ駅は、兜沼駅が唯一となっている。このあたりは、冬になると地吹雪に見舞われることも多い厳しい地域。そう考えると、ダイヤが大きく乱れた際のことを考えて、旧抜海駅の交換設備は残しておいたほうが良かったのでは……と直感的に思ってしまう。一方で、交換設備を備えた駅を維持するには、冬季の分岐器管理に人を常駐させなければならないなど、大きな手間とコストがかかる。必要最小限に絞って維持していくという考え方は納得できる。

1番線と2番線は構内踏切で結ばれている。広い構内を見ると宗谷本線が幹線として長大な列車に対応していることがわかる。

こんな写真が撮れるのも構内踏切ならでは。(渡り板上から撮影)
線路を眺めてみると、枕木がすべて木製で統一されており、なんとも美しい。木製枕木は比較的安価である一方、列車の通行が繰り返されると、次第にレール間隔が広がってしまうことがある。そのため、木製枕木を主体とする路線では、4~5本に1本程度をPC枕木に置き換え、レールの間隔が広がるのを抑える対策が取られることが多い。こういった風景も貴重かもしれない。

兜沼駅はその名の通り、「兜沼」のほとりにある。稚内方面の2番線ホームからは直接兜沼へ向かう小径がある。こちらは後でじっくり探訪するとしよう。

1番線の中心にあるのが可愛らしい駅舎。ホームは砂利敷きである。周囲は非常に静かな環境で自分の歩く音だけが聞こえる空間である。

駅舎の建物の端にはトイレも備えられている。待合室としてはかなり立派な造りだ。ただしトイレは2026年10月1日から使えなくなるとのこと。

待合室には、プラスチック製のベンチが4脚並んでいる。壁面はすっきりと整理され、床もきれいに清掃されている。地元の方々に大切に管理されているのだろう。隅々まで丁寧に手入れされていることが伝わってくる。列車を待つ時間も、ここなら落ち着いて過ごせそうだ。ほっと一息つける居心地のよい待合室である。待合部分はこじんまりとしていて、建屋の半分は保線の方の控室になっているようであった。

ローカル駅には欠かせない駅ノートはベンチ上にあった。2冊のうち、1冊は既に書き込みが一杯になっていて、もう一冊は半分くらいまでの書き込みとなっていた。私も一筆啓上。書き込みの頻度はそこまで高くなかった。

兜沼駅の運賃表。眺めていると、宗谷本線の駅が少しずつ姿を消していることを改めて実感する。駅の廃止が相次ぎ、運賃表には駅番号の「欠番」も目立つようになってきた。

兜沼に停車するのは、上り4本、下り3本の合計7本。稚内方面への通勤通学に便利なダイヤ設定となっている。

1番線の稚内方にあるこちらの建屋は駅関連のようで、中には除雪機が保管してあった。跨線橋のある駅では、階段の下のスペースに置いてあることが多いのだが、跨線橋の無い兜沼駅では専用の建物に収めてあった。

私が次に乗車するのは11:02名寄行なので、3時間以上の時間がある。駅を後にして言問(こととい)の松まで行ってみることにした。

兜沼の集落には、郵便局をはじめ、小・中学校や警察の駐在所などがあり、ひと通りの生活に必要な施設がまとまっている。

こちらの建物は「兜沼郷土資料室」。
1902年(明治35年)、岐阜県からやって来た開拓者・梅村庄次郎氏が兜沼に入り、この地が入植に適していることを見極めた。その後、12戸の入植者がこの地に入り、開墾に取り組んだという。兜沼は、こうした開拓の歩みから「豊富町発祥の地」とされており、その歴史を伝える記念碑が建てられている

兜沼駅から言問の松までは3.8km。少し距離はあるが、歩いて向かう道中も楽しみのひとつだ。途中には、美瑛の風景にも負けないような、丘の上にぽつんと立つ一本の木があり、思わず足を止めてしまう。

路をそれて、丘へと寄り道してみる。一本木には近づけないものの、上からは兜沼を遠望するよい景色を得ることができた。

アチャルベシベ道路踏切で宗谷本線を横切り、広大な牧草地の中を進んでいく。非常に気持ちの良い散歩である。

兜沼駅から歩いて50分ほどで、言問の松(ことといのまつ)へ到着した。近づいてみると、なるほど、これは見事な巨木である。名前には「松」とあるものの、実際の樹種は「イチイ」。樹齢はなんと約1200年。イチイは成長の遅い木だというから、これほどの大きさに育ったこと自体、奇跡的ともいえる。道北のこの地域は、冬になると地吹雪が発生する厳しい環境。それでも風雪に耐えながら、1200年もの長い年月を生き抜いてきたと思うと、その姿には一層の風格が感じられる。

幹に刻まれた深い凹凸と独特の質感は、若木では決して表せないもの。長い年月を生き抜いてきた巨木ならではの風格が、そこに凝縮されている。

幹にはしめ縄が掛けられ、ご神木として大切に祀られている。根元に目をやると、長い年月を重ねてきたことを物語る樹皮の表情がまた素晴らしい。幹の力強さと相まって、1200年という歳月の重みを感じさせてくれる。

言問の松と道路を挟んだ向かい側には沼向神社があり、そこでは赤く鮮やかなイチイの実が実っていた。大満足の言問の松への訪問を終え、また歩いて駅へ向かう。

兜沼駅へ戻ってきた。この日は大変過ごしやすく、往復8kmの道のりはあっという間であった。乗車予定の列車までまだ余裕があるので、駅の向う側にある兜沼へ行ってみよう。

駅に貼ってある兜沼公園の案内を見ると、キャンプ場が併設されている公園ということで、夜間でなければキャンプ場宿泊者でなくとも、立ち入っても良いようだ。

兜沼駅の2番線の脇から兜沼公園へと向かうと、少し見下ろす形で沼が見える。兜沼小・中学校を頂点にゆるい傾斜地に集落、駅、線路の順で並んでおり、一番下にあるのが兜沼である。

兜沼への近道は、こちらの地図が分かりやすい。近道は草刈りもされているので、すぐに判別できる。

公園内の道路には「JRかぶとぬま駅」としっかり表示されており、JRを利用する人にも分かりやすいよう、駅への案内が整備されている。

さて、兜沼のほとりまでやって来た。……と思ったのだが、実際には沼と公園内道路の間にブッシュが広がっていて、思いのほか沼を眺めることができない。そんな中、最もよく兜沼を望むことができたのが、兜沼公園キャンプ場の最南端にある「水鳥観察地」と呼ばれるスペース。駅から歩いて15分ほどだろうか。兜沼をじっくり眺めたい方は、ぜひここまで歩いてみることをおすすめしたい。

兜沼から駅へ戻る。11:02発の上り名寄行までのわずかな時間、1番線に立ち、駅の姿を目に焼き付ける。旧貨物ホームと思われる側線にはマルタイが停まっていた。

そして乗車予定の普通列車名寄行がやってきた。しずしずと停車位置を確かめるかのように減速する。やってきたのはこの駅に来るときに乗っていたキハ54 502。南稚内で一休みした後の折り返しの運用となっているようだ。

稚内を10時台に発車する名寄行普通列車。平日の昼前ということもあり、車内はガラガラだろうと思っていたが、意外にも盛況で、21名もの乗客が乗っていた。さらに、同じタブレット端末を手にした小学生が10名ほど、引率の先生とともに兜沼駅で下車した。稚内市内の小学校による社会見学だろうか。約30分後には下りの稚内行列車があるため、ちょうどよい滞在時間が確保できるのだろう。普段は静かな兜沼駅に、子どもたちの声が響き渡る。地域の足のみならず、そして学びの場として宗谷本線が利用されていることがなんとも嬉しい。短い時間ではあるが、兜沼駅に賑やかな時間が訪れた。



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