2019年2月23日土曜日

山崎駅

函館本線「山崎(やまさき)駅」は函館本線八雲駅のお隣にあるローカル駅。木造の駅舎が現役である。

駅は八雲町にあり、内浦湾のそばに位置する。駅と海は200mほど離れているが、ホームから内浦湾を遠望することは可能だ。


山崎駅へ向かうべく、長万部駅からキハ40の普通列車に乗車した。車番は835ということで、最初期に製造された一次型である。

車両銘板には「新潟鉄工所 昭和52年」が刻まれていて、紛れもなく最初期の車両である。JR北海道の普通列車減便の際、これら一次型の淘汰を覚悟していたのだが、生き残ってくれた。2019年次点で製造後42年に達しているが、今も元気に活躍してくれている。

車内の化粧板は一次型の証であるピンク色。たくさんのボックスシートが並び、落ち着きのある青モケットで覆われている。この車内は製造時の姿とほとんど変わっていないのではないかと思う。

キハ40 835は僅かな乗客を乗せ、南下していく。途中の北豊津信号場は、つい最近まで北豊津駅として営業していた。使われなくなった構内踏切は黒いシートで覆われていた。

黒岩駅の次は目的の山崎駅。下車の準備をして前方デッキへと出る。


山崎駅を示す標識が見え、駅構内は間もなくである。デッキに出て下車する準備をするときは、毎度気分が盛り上がる。


山崎駅へと到着。この列車から降りたのは私一人。
乗車する客はいなかった。


排ガスを噴き上げながら、キハ40 835が発車していく。


ホームは砂利タイプ。小砂利が綺麗に敷き詰められ、ごみ一つない。歩く度にザクッザクッと小気味良い音が立つ。


ホームからは内浦湾を望める。この日は生憎の曇天で、海の青らしさは見られなかった。


趣のある駅舎は下り線に佇んでいた。
構内踏切を介して駅舎へと向かう。


構内踏切を渡ると中線の線路が光っているのに気づく。退避目的などで使用されているのだろう。


駅を観察している間にやってきたのは、DF200 の牽く貨物列車。貨物列車の通過は重厚感があるせいか迫力がある。

山崎駅の駅名板とともに、駅舎を眺めてみる。駅名板の「やくも」の箇所はステッカーで真新しい。以前は山崎駅と八雲駅との間に鷲ノ巣駅が存在した。鷲ノ巣駅は2016年3月をもって廃止されてしまい、山崎駅のお隣は八雲駅となっている。鷲ノ巣駅に訪問出来なかったのはとても残念である。


駅舎の窓は木枠で、昔からの姿をとどめている。鎮座していたブルーシートで覆われた物品は何だったのだろう?


山崎駅には駅ノートが備えてあった。訪問者はそう多くないのか、書き込みは少なかった。


駅舎の壁面は落ち着きのあるベージュ色で化粧されていて、落ち着きのある雰囲気を出している。駅前には自転車が一台置いてあった。この駅の利用者のものだろうか。


駅舎の前には松?の木が植わっている。囲いが整っていて大事にされているようだ。左側の小さな建物はトイレだったと記憶している。


駅を背にすると目の前には国道5号線がある。道幅があり、見通しがきくせいか、車のスピードは高いようだ。


駅の近くにある八雲山崎神社へ来てお参りをする。

神社の近くからは函館本線を海側から眺めることが出来る。ちょうどやってきたのはキハ261系の上り特急列車。

特急列車は盛況のようであった。
山崎駅構内へと高速で進入していく。

次の列車はしばらくないので、駅前のバス停から路線バスを利用して出発する。バス停のそばには大人しそうな白いワンちゃんが昼寝をしていた。

やってきたのは長万部行きの路線バス。予定時刻の5分前から待っていたのだが、待てども待てども来ないので、すでに通過してしまったのかと焦ってしまった。結局20分ほど遅れての到着であった。ホッと安心しながら、山崎駅を後にした。


2019年2月17日日曜日

石勝線夕張支線 乗車記

南千歳と新得を結ぶ石勝線には、南千歳と新得を結ぶ本線と、新夕張から分岐し夕張へ至る支線がある。本線は道央と道東を結ぶ幹線で、特急列車や貨物列車が多数運行されている。対照的に途中の新夕張駅から夕張駅へと向かう夕張支線は利用が少なく、単行の気動車が一日に数本行き来するのみの閑散路線である。札幌や千歳から近いゆえか、乗りに行くチャンスは多いと思い込んでいて、結果として未乗のまま、ずるずると時間が経ってしまった。そうこうするうちに廃止の話が持ち上がり、現役の夕張支線を記憶に残すべく夕張支線へと向かった。
※夕張支線は2019年4月1日を以て廃止されました。


出発は室蘭本線の糸井駅。写真のキハ40は当駅止まりで、この車両が折り返しの夕張行きとなるのだが、一度錦岡駅まで回送される。糸井駅には上下線を結ぶ渡り線がなく、お隣の錦岡駅まで行き、駅の中線で折り返してくる必要があるのだ。錦岡駅の中線にホームがあったら、錦岡発夕張行きの列車となっていただろう。


糸井駅は古めかしい駅舎が残っており、建物の雰囲気はすこぶる良い。


糸井駅は簡易委託駅で窓口が現役である。そのためか、待合室にはストーブが置いてあり、利用者を温めてくれる。


木枠の窓口が現役で稼働している姿はあまり見かけないせいか、なんだか嬉しくなる。


糸井駅の上下線は跨線橋で結ばれていて、そこから駅舎を見下ろすことができる。駅舎の周りには花壇が整備され、利用者を癒してくれる。


簡易委託の駅員さんは列車の発車が近くなると、わざわざ2番線まで来て切符を販売していた。あらかじめ印字した切符にここで日付印を押すようだ。


錦岡駅で折り返してきたキハ40 1771の夕張行き単行列車。この列車で夕張へと向かう。


糸井駅から乗車したのは私の他に数えるほどで、ガラガラであった。ところがこの列車が糸井発となっている目的は隣の青葉駅にあったようで、そこから大量の高校生が乗車してきた。


沼ノ端駅を出ると室蘭本線は広大な牧草地の中を走る。北海道らしい風景が広がってきた。


錦岡、苫小牧で高校生や帰宅客を乗せた列車は遠浅、早来駅で乗客を降ろしていく。


遠浅、早来駅とは対照的に、安平駅での乗降は見られなかった。


安平駅へ下車経験のあるJ氏より写真を提供頂いた。
凍てついた冬の姿である。


安平駅の訪問を終え、J氏の乗車する下り列車がやってきた。暖気を感じるような前照灯の明かりがレールを照らしている。


追分駅へと到着した。
しばしの休憩後、列車は石勝線へと入っていく。


追分駅はジャンクションとなっていて、他の列車と遭遇しやすい。対向ホームの1番線には逆方向への列車が発車を待っていた。

 追分駅の次は東追分駅。この駅は廃止されてしまい、現在では信号場扱いである。当時は客扱いをしていたので、今となれば下車しなかったことが悔やまれる。

 駅の北側にはゆるい丘のある農地が広がる。


東追分駅が現役のときに下車したJ氏より写真の提供を頂いた。起伏のある耕作地に囲まれ、静かな印象を受ける。実に魅力的な駅である。(J氏撮影)

跨線橋からの眺めからも、
北海道らしい広がりのある景色が得られている。
(J氏撮影)

東追分駅の東側にはCM(金麦『帰り道』篇)で使われた踏切がある。確かにCM映えする風景である。(J氏撮影)

続いては滝ノ上駅。この時点で列車はかなり空いていて、この駅で降りる乗客はいなかった。



滝ノ上駅の次は十三里(とみさと)駅。石勝線は駅構内への分岐器上にスノーシェッドが備えられているところが多く、雪対策が手厚い。


十三里駅では列車交換のため、しばらくの停車となった。この駅も東追分駅とともに2016年3月をもって廃止されてしまった。

 やってきたのは赤熊ことDF200が牽引する貨物列車。単線でありながらこんな遭遇のある石勝線は面白い。


 新夕張駅から夕張支線へ入り、最初に到着するのが沼ノ沢駅。駅自体は木造のようで、比較的歴史がありそうだ。おーやまという洋食レストランが併設されている。



 列車は夕張川の地形に沿って北上し、南清水沢駅へ到着。このあたりは比較的開けており、利用者も多いようで、この駅は委託駅として駅窓口が営業しているとのこと。



 お次は清水沢駅。ホームと駅舎が随分離れていることから、昔は沢山の側線が並んでいただろうことが想像できる。


 鹿ノ谷駅では、2名の乗客が下車した。駅舎の壁は近代的に化粧されているものの、柱や屋根には風情がある。




冬期の鹿ノ谷駅。
冬晴れのもと夕張行きキハ40が鹿ノ谷駅へと到着。
(J氏提供)

雪化粧した姿は実に美しく、
鹿ノ谷駅へ訪問したJ氏が羨ましい。
(J氏提供)

 そして、終着駅の夕張へと到着。ホテルマウントレースイの大きな建物に圧倒される。ローカル盲腸線の終点で想像しがちな鄙びたイメージとはかけ離れた建物である。

 こじんまりとした夕張駅舎には、観光案内センターが併設され、明るい雰囲気である。町の中心とは離れているせいか、一般家屋などは少ない。

 駅前にはエネオスとセイコーマートがある。少々時間があったので、夕食を買うべくセイコーマートへと立ち寄った。

 列車から乗客が降りきると、夕張駅には静けさだけが漂う。日中の時間帯になれば、観光案内所が開き、また別の雰囲気となるのだろう。

 夕張から折り返す列車は私一人のみの貸し切り状態であったが、南清水沢駅から高校生達が乗車し、そこそこの賑やかになった。

 車内で食べた夕飯はセイコーマートで買った焼き鳥弁当。鳥肉とネギにはちゃんと焦げ目がついていて、焼き鳥らしさが十二分に出ていた。



新夕張駅へと戻ってきたキハ40 1771。今日は夕張までさらに一仕事と準備を整えていた。まもなく廃止されてしまう夕張支線。現役のうちに鉄旅が出来たことは良かった。しかし各駅への訪問は未完了であり、この点は心残りである。





一部写真は鉄旅の先輩であるJ氏より頂戴しました。
ありがとうございました。

J氏撮影の写真の使用、転載はお断りします。
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