2022年2月5日土曜日

名松線 乗車記

JR東海「名松線」は三重県松阪市京町と同県津市美杉町を結ぶ、鉄道路線である。市町村名でいえば、”松阪”と”津”を結ぶことから、一見輸送人数が多そうにも想像できるのだが、実際はJR東海屈指のローカル線で末端部の家城駅から伊勢奥津駅の輸送密度は僅か90人足らずという情報もある。そんな情報を目にすれば乗りたくなるのが鉄旅愛好者の性で、松阪から伊勢奥津までの全線を往復乗車してみた。


出発は松阪駅。ホームの規模に比して小さな気動車2両編成が出発を待っている。朝一番の家城行きは空いているのかと思いきや、出発時刻に近づくにつれ、どんどん乗車が増え、高校生を満載する列車となった。

そして家城駅へと到着。高校生が一斉に降り、皆駅の改札口へと向かう。恐らくは白山高校の生徒さんだろう。白山高校は2018年夏に甲子園出場を果たし、有名になった。

線路側から見る駅舎は木の質感がそのままに活きており、素晴らしい雰囲気である。木造駅舎に名所案内があり、駅員氏も居る。

高校生が降り去った家城駅は静けさに包まれた。昔ながらの木造の駅舎には窓口が健在。この駅はJR東海の駅員配置直営駅である。

家城駅舎の道路側はシンプルに化粧されている。向かった右側に待合室、左側には駅事務室が配されている。

駅員氏が松阪行きの発車を見送る。

2番線に停車中の列車は伊勢奥津行き。こちらに乗車して、終点の伊勢奥津を目指す。

発車間際になると駅員氏がスタフをもってくる。赤白の輪っかは授受がしやすいようになっている付属品で通票は一番下の皮ホルダに入っている。

スタフが運転士へと渡される。この瞬間からこの列車は伊勢奥津方面へと進入することが出来る。スタフ閉塞の区間は数を徐々に数を減らし、JR線では越美北線の越前大野~九頭竜湖と名松線の家城~伊勢奥津のみとなった。

運転台に置かれたスタフ。家城~伊勢奥津の通票は□である。

家城駅を出ると車窓は一変し、山間の谷筋を走る。

雲出(くもず)川に沿い、途中何度か川を渡りつつ、伊勢奥津へと向かっていく。

伊勢奥津行きの乗客は自分一人と貸し切り状態であった。車内にはキハ11 300番台のエンジン音のみが響き渡る。

所々で斜面が線路に迫ってくる。こういった所には落石検知の信号がある。

列車は深山幽谷を走って行く。紅葉も相まって素晴らしい景色が迎えてくれた。

余剰車両を活用してこの路線に観光列車が走ったら人気になるのでは?と思うほど山間の景色が風光明媚である。松阪駅「あら竹」さんの駅弁を堪能しつつ名松線の景色を楽しめたら何と素晴らしいことか。

比津駅の手前ではシカ3頭と遭遇。

比津駅の次は、終点の伊勢奥津駅。車内の料金表には最も遠いところで新宮駅が示されていた。

この日は雨がちであったが、山には良い具合に雲が掛かり、風情のある景色となっていた。

最後の区間で雲出(くもず)川を渡り、左岸側にある伊勢奥津の中心へと向かっていく。

緩やかな左カーブを曲がった先が終点の伊勢奥津駅。

伊勢奥津駅の先には車止めがある。奥には給水塔が残されていて、昔はSLがそこで給水していたことが伺える。

名松線の建設目的は、松阪と名張を結ぶことであった。名張までの延伸は頓挫し、細々とディーゼルカーが走る盲腸線として現在に至っている。

伊勢奥津駅の建屋は非常に立派である。待合室部分は右端で、他の大部分は津市の施設となっている。

復旧時に使用されたヘッドマーク。

給水塔が使用されたいたときの貴重な写真。名松線ではC11が活躍していたようだ。

伊勢奥津駅周辺は、風情のある建物が並んでいる。

立派な2階建ての木造家屋。

名松線建設当初の目的を受け継いでいた名張駅行きはたったの一本のみ。このバス路線は2021年3月限りで廃止となってしまったらしい。出来ればこのバスを利用して名張駅まで行きたかったのだが、名松線利用だと中々利用しにくく、諦めざるを得なかった。いずれ折り畳み自転車を使いつつ名張と松阪を結ぶ旅をしてみようか。

帰りの松阪行きは、自分を含めて4人の乗客であった。年配の女性2人、鉄分ありな中年男性1名、そして自分。

家城駅へ到着すると、スタフが運転士から駅員へと渡される。貴重な光景である。

スタフを渡して終わりかと思いきや、タイガーカラーのタブレットキャリアを列車側が受け取っている。調べて見ると松阪~家城は票券閉塞というスタフ閉塞に続行運転が可能な形態が加わった方式を採っているとのことであった。

この列車は▽印の通票をもっている。鉄旅の先輩J氏にこの方式の概要を教えてもらった。家城から松阪行きが2本連続で発車する場合、先行列車は家城駅で通票の代わりに代替通行許可証となる通券を渡されて松阪への進行が許可される。後発列車はこの写真のように通票本体を持って松阪へ向かう。先発列車は松阪へ着いた後、通券を回収されてしまうので、家城へ戻ってくることは出来ず、後発列車が到着するまで松阪で待機、もしくは名松線本線上から退出しなければならない。あくまで家城駅が通券を発行し、また通票を管理することで、家城~松阪は松阪方面行きの列車のみが存在するということが担保される。現在の名松線ダイヤでは続行列車が無く通券発行の機会は無いようだが、臨時列車でも走るようなことがあれば発行があり得る。チャンスがあれば是非とも見てみたいものだ。

松阪駅へと戻ってきた。松阪駅はKIOSK、駅弁屋、駅そば(うどん)の全てが現役であった。残念ながら、この駅そば屋さんはその後閉店してしまったらしい。

駅弁のあら竹で買ったのは「匠の技 松阪牛物語」。事前に新竹商店に電話を掛けて注文しておいた。松阪駅に乗り降りするからには、この駅弁を食べてみたかったのだ。

この駅弁は紐を引くと加熱され、暖かい状態で食べることができる。駅弁には松阪牛の証明書があり、正真正銘の松阪牛が入っている。スゴイのは脂分が多いであろう肉の下にある御飯に脂分がほとんど付着していないこと。普通に載せただけなら脂肪分がベタつきながら存在してしまうはず。どのような製法か想像もつかないがスゴイ工夫をしたものだ。味は期待どおり実に素晴らしい。値段分の価値が十二分にある駅弁である。名松線の旅のお供に如何だろうか。



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