函館本線 国縫(くんぬい)駅には朱色の屋根を構えた木造駅舎が残っている。この駅を起点とする瀬棚線が運行されていた頃は、ジャンクション駅として急行「せたな」がこの駅で増解結をしていたこともあったようだ。その時代の面影を残すかのように、大きな駅舎と2面3線の配線が現役である。
国縫駅の近くには国縫漁港がある。この漁港は非常に特徴的な形状をしていて興味深い。国縫駅の訪問に際して国縫漁港へも行ってみた。
先に訪問した「山崎駅」から路線バスに乗り、国縫駅までやってきた。バス後面には東京-成田空港の宣伝があり、なぜ函館バスにこのラッピングがあるのか不思議であった。これは、バニラエアが函館空港~成田空港を就航しており、函館~東京間を安く移動する手段としてのアピールなのだろうと思う。
駅訪問の前に向かったのは国縫漁港。
漁港は陸地と少し離れていて、橋を渡ってアプローチする。方円の陣とも呼べるような円形形状をした珍しい港である。
橋から眺めると、このあたりの海岸は砂浜が広く、非常に遠浅であることがわかる。そのために漁港を多少沖合に作る必要があったのだろう。
漁港の中は円形の突堤に囲まれ、非常に穏やか。突堤やテトラポットにはたくさんの釣り人がいて、釣りを楽しんでいた。聞いてみると、カレイが釣れるのだという。
漁港を後にして、目的の国縫駅へとやってきた。正面に見えるのがその駅舎である。
国縫駅は立派な木造駅舎が現役であった。ジャンクション駅として、多数の駅員氏達がここで従事していたのだろう。
駅舎には木製の駅名板が掲げられている。時代を感じさせるかのように文字がかすれていた。
これは建物財産票なのだろうかと近づいてみた。表記は消えてしまったのか、何もなく気になるものである。
待合室のスペースは広く、多数のプラベンチが並んでいる。
窓口の後は塞がれ、掲示物が貼られていた。中央の柱は暖房と煙突を兼ねたものなのだろうか。
荷受け台には駅ノートがあった。旅行者の書き込みは少なく、地元の高校生の書き込みが最新のものであった。
wikiによれば、1992年まで簡易委託として窓口が営業していたとのこと。
ホームへ出てみる。駅舎の出入り口付近の屋根上には雪止めが備えられている。朱色に塗られたの屋根は古めかしい駅舎と、とてもマッチしていた。
私が乗車するのは、下りの長万部行き。ということで、跨線橋を渡って2番線へと向かう。
この跨線橋は骨董品のごとく素晴らしく、階段部分も窓枠も木製である。これほどまでに古めかしい跨線橋は少ないと思う。
木製窓枠は隙間風が入りやすいのだろうが、プラ板のようなものを貼り付けることで、隙間風が防がれていた。
渡り部分の床、屋根は木製。壁の木製柱と外のレール鉄骨は特徴的な留め具で固定されている。
跨線橋を渡り2番・3番線へと降りる。
跨線橋は古レールで構成されていた。
瀬棚線が発着していたという3番ホームから函館側を望む。瀬棚行き列車は、こちらへ函館向きに出発していた。3番線は現在もレールが光っており、信号も点灯していて、現在も待避などに使われてるようだ。
こちらは長万部方の風景。
貨物列車や特急列車の待避があるためか、構内は広い。
目的の普通列車を待つ間に、
キハ261系上りスーパー北斗が通過していった。
程なくして、乗車する長万部行き普通列車がやってきた。
長万部行きキハ40 1806は私一人を拾い、国縫駅を後にした。