青森県の野辺地と七戸を結んでいた南部縦貫鉄道。これに一往復乗車したときの記録です。
景色もさることながら、レールバスの車内の記憶が強烈に残っています。運転士氏はクラッチ操作をしながら、ギアの進段をして速度を上げていました。また、列車が踏切を通過するときは「ゴー」という音がしていたこと、曲線部分では線路が完全になめらかに曲げられておらず、車体を大きく横に揺らしながら走っていたこと、汽笛が昔のバスのような音だったこと、など他では見られない特徴があったと記憶しています。
乗車当時は経営が厳しかったようですが、列車はワンマン運行ではなく、車掌が乗務して運行をしていました。
当時の乗車記録をここに記したいと思います。
おまけ
景色もさることながら、レールバスの車内の記憶が強烈に残っています。運転士氏はクラッチ操作をしながら、ギアの進段をして速度を上げていました。また、列車が踏切を通過するときは「ゴー」という音がしていたこと、曲線部分では線路が完全になめらかに曲げられておらず、車体を大きく横に揺らしながら走っていたこと、汽笛が昔のバスのような音だったこと、など他では見られない特徴があったと記憶しています。
乗車当時は経営が厳しかったようですが、列車はワンマン運行ではなく、車掌が乗務して運行をしていました。
当時の乗車記録をここに記したいと思います。
出発は七戸駅。
JRのホームから数本の側線を挟んで、
南部縦貫鉄道のホームがありました。
乗り換え時の跨線橋から見た南部縦貫鉄道キハ102。
こんな愛らしい車両が停まっていたら、胸躍ります。
南部縦貫鉄道の駅舎は何故か「のへぢ駅」となっていました。
キハ102は全長10m強とバス的な車体サイズです。
レールバスとは絶妙な呼称でした。
今やレールバスという言葉自体が死語になりつつあります。
終着の七戸に到着した、キハ102。
キハ10型の2号機ということだったようです。
この当時は既に途中駅での交換設備は撤去?され、
一両の車両が行ったり来たりするスタフ閉塞状態
であったと記憶しています。
七戸駅の発車時刻表です。
列車本数は一日5往復。
野辺地で東北本線の列車と概ね接続していたようです。
キハ102の運転席です。
写真中央最下部に見える黒く丸いものが、シフトレバーだったと思います。ローギアは、発車時のほんの一瞬だけで、すぐにセカンドへ入れていました。
上り野辺地行きには、地元の学生とおばさんが乗車していました。シートはビニール製でした。
車庫にはキハ101と国鉄から来たキハ11(南部縦貫鉄道ではキハ104)、さらにディーゼル機関車が一両休んでいました。キハ11はレールバスと比較すると大型であり、ラッシュ時にはその収容力が威力を発揮したようです。私が乗車した時点では、基本的にキハ101と102だけで運用をまわしていました。最後のさよなら運転のときには、キハ11もその本領を発揮していたようです。
午後の七戸駅にたたずむキハ102。
なんとも落ち着く外観です。
15:45の発車まで七戸駅のホームに佇む野辺地行き。 午後の日差しを穏やかに受け止めます。優しいマスクに落ち着きのあるカラーリングがまた素晴らしいと思います。
ーーー
南部縦貫鉄道に訪問の際、「はくつる81号」を利用しました。憧れの583系に乗ることが出来てとても嬉しかったことを記憶しています。下段寝台は広くて快適でした。この列車はサハネの増結編成を含む12両編成での運転であったと記憶しています。
583系には青森という表示がとても似合う気がします。
翌朝、目が覚めたときには浅虫温泉のあたりを高速で走行していました。
こちらは野辺地駅で見た50系客車です。
こちらは花輪線のキハ52。
この写真は十和田南駅であったような気がします。
南部縦貫鉄道に乗車した後は、50系の普通列車に揺られて
盛岡まで行きました。途中の長時間停車時に撮った写真です。
50系のデッキから眺めた小鳥谷駅。
今はIGRいわて銀河鉄道の駅となりました。
三沢の淋代海岸へも行ってみました。
しばらくボーッとして、ここに来られたことに満足しました。