2016年9月24日土曜日

八戸線 キハ48乗車記

八戸線の車窓から眺める太平洋は実に風光明媚である。砂浜越しに眺める区間もあれば、松林越しに高台から眺める区間もあり、飽きることがない。

使用車両についても興味深い路線である。八戸線には全国的に数を減らしつつあるキハ40系が、ほぼ原型状態で主力として活躍しているのだ。ここのキハ40、48は原型エンジン、非冷房、ボックスシート、側面の行先表示はサボ、さらには車掌乗務による運用と国鉄時代を彷彿とさせるものである。陸中中野~侍浜の区間には最大25パーミルの坂があって、そこを変速段で原型エンジンを奮わせながらあえぎあえぎ上るという、国鉄型車両好きにはシビれる路線といえる。


出発は八戸駅。
運の良いことに3両編成の先頭はタラコ色のキハ48 1548である。

 
側面のサボは現役で使用されている。

 タラコ色のキハが出発を待つ。
車両の外板は状態が良く、潮風の中を
走る車両とは思えないほど綺麗だ。
 
 
八戸駅から程なくして鮫駅に到着。
昔はここまで50系客車による普通列車があった。
この日は空いていて、八戸からここまで先頭車内は
最大でも10人ほどであった。

鮫駅を出ると、蕪島と太平洋が見えてくる。

鮫崎灯台を後ろに眺めつつ種差海岸を通っていく。

高台では松の木々の間から太平洋が顔をのぞかせている。
様々な形で太平洋を眺められる路線だ。

 
キハ48 1548の車内は魅力満載。

扇風機のスイッチは客室内にある。

 
急行型と同じシートピッチを持つボックスシート。
ゆったりとくつろいで鉄旅を楽しむことができる。

 連結部の運転台を見てみる。
助手席の背もたれは驚くほど小さいものだ。

アナログな運転台。
国鉄車らしく、化粧が緑色で統一されている。 

 
車掌さんが運賃収受をする。
ローカル線でワンマン運転が当たり前になった現在では、
貴重な光景である。

 
列車は青森県最後の駅、階上(はしがみ)駅に到着し、
八戸行きと交換した。
八戸線は比較的最近までタブレットによる閉塞が行われていた。
この駅も2005年まで腕木信号やタブレット交換が見られたようだ。
 その時代に来てみたかった駅である。

宿戸駅を出て、陸中八木駅へ近づくと
海岸沿いを走るようになる。

陸中八木駅へ到着。駅は八木港に面している。

陸中八木駅から有家駅の区間は
八戸線でメインとも言うべき秀逸な車窓を楽しめる。

海岸線の緩やかなカーブに3両編成が連なっていく。

この日は晴れ渡り、穏やかな太平洋とも相まって
実に癒やされる車窓が展開していた。

海にはサーフィンをしている人の姿が見られた。


陸中八木から有家までの車窓動画。4:24
0:50~1:30 上り坂                 
2:50~   太平洋と砂浜            
穏やかな太平洋の車窓を堪能されたい。
車掌さんの肉声による放送、原型エンジン音、
キハ40系列独特のブレーキ操作時の空気音を
記録することができた。

陸中中野駅を出ると、海を離れ内陸に入っていく。

ここからは山越え区間で変速段のままエンジンが唸り続ける。

25パーミルの勾配標識が見えた。
キハ40系には厳しい斜度である。

ようやく峠のサミットが見えてきた。
侍浜駅が近いからブレーキを掛けよという標識なのか。

列車はほっとしたかのように侍浜駅で一息をつく。
この駅の標高は150mほどで、一駅で随分と登ってきた。
浜という文字がありながら、
この駅は海岸からは5キロ以上離れている。

侍浜を出ると下り坂が続き軽やかな走りになる。

最後の途中駅、陸中夏井駅に到着する。
この駅は本州では珍しい車掌車改造駅で、
しかもワフ改造とのこと。
駅訪問の際には有家駅とともに来てみたい駅である。

 
久慈川を渡ると、いよいよ終点の久慈駅である。

終着駅の久慈駅に到着。
海あり山ありの変化に富んだ車窓は実に素晴らしかった。

 
久慈駅は三陸鉄道北リアス線との境界駅。
構内には三陸鉄道の車両がたむろしている。


洗車線では36-Z形車両が洗車をされていた。

最後に構内踏切から世話になったキハ48を眺める。
またこれらの車両に乗って旅をしてみたいものだ。

久慈駅にはなんと贅沢なことに駅そばが2軒入っている。
こちらはJR久慈駅側のそば処。

売店も併設されていて、活気のある駅だ。

JR久慈駅の様子。
駅員がおり、みどりの窓口もある。
地域の中心となる存在だ。

こちらは隣接している三陸鉄道の久慈駅。
こちらにも駅そば屋さんが入っている。

ここには有名なうに弁当が売られている。
売り切れてしまうことも多いようだが、この日はまだ3個が残っていた。

リアス亭でほたてそば490円を注文。
ほたてが豪快に2つ入っている。

そばだけでなく、うに弁当も併せて購入。
うにがふんだんにちりばめられており、贅沢な駅弁である。
心も胃袋も大いに満たしてくれた八戸線。
今度訪問する際は、有家や陸中夏井などの駅巡りもしてみたいと思う。

列車乗車記


2016年9月16日金曜日

下沼駅

宗谷本線下沼駅は、下沼湧水やパンケ沼など周囲に名所の多い駅である。この駅は列車以外での到達がしづらく、近くにバス路線が無いほか、自力で向かおうにも隣の幌延駅、豊富駅からは遠く、9km以上の道のりをとらねばならない。今回、抜海駅の訪問を終えて上り列車に乗り、この駅へやってきた。

 
車掌車改造の待合室に砂利ホームと、
宗谷本線で馴染みの組み合わせ。
周囲は広がりのある風景に囲まれている。

下沼駅の近くにはパンケ沼がある。
幌延と豊富の市街地からは離れている。

上り列車の前面に下沼駅が見えてきた。
どんな光景が待ち受けているのか、楽しみな瞬間だ。

 
下沼駅へ到着した上り列車。
降りたのは私一人のみであった。

 
乗る客はなく、列車は僅かな客とともに
幌延へ向けて発車していく。

 
 下沼駅の駅名板は脚が少し傾いている。
幌延駅のシールの下には、
かつて存在した南下沼駅の文字があるはずだ。

 
駅の周囲には人工物が少ない。
とはいえ、すぐ裏手には国道があり
車の走る音が時折聞こえてくる。

 
 デッキ部分は腐食が進んでいる。

待合室の中には座布団や机があり、
快適に過ごすことができる。
地元の方の愛情が伝わってくる。

 
机の上は旅人の心をくすぐる物ばかり。

 
駅前には草地が広がっており、数件の家屋が存在する。

 
駅から歩いてすぐのところに「下沼湧水」があり、
常に水が出ている。
コップが備え付けられており、私も飲んでみた。
 私の中では下沼湧水ではなく、
下沼名水という名称に変わった。

 
昭和29年頃から自噴しているとのこと。
 何か自噴するきっかけになる出来事があったのだろうか。

 
名水を飲んだ後、夕日を目指して西へと向かう。

到着した先はパンケ沼。
沼越しに素晴らしく美しい夕日を見ることが出来た。

 
利尻富士の横に沈む夕日を眺める。
思わず見とれてしまう。

 
 パンケ沼から駅へ戻ってくるとすっかりと日が暮れていた。

列車を待つ間、駅ノートへ書き込みをする。
下沼湧水の水を汲みに来ている人の書き込みが多かった。
 よくよく見てみれば、この机は学校机である。

 
待合室の二重窓は今もキッチリ機能している。

 
お手製の名所案内図があった。
名山台展望台も駅から近い。
過去に幌延駅でレンタサイクルが借りられた頃、
自転車で名山台まで来たことがある。

 
座布団にはしもぬまの文字が。

 
 
 やがて時間通りに列車がやってきた。

 
下沼駅ではとても良い時間を過ごすことが出来た。
最後に夜の帳が降りた駅とキハ54を絡めて撮影する。
この列車で駅を後にした。 









2016年8月26日金曜日

歌内駅

宗谷本線歌内駅は、天塩中川と問寒別の間に位置する棒線駅である。車掌車改造の待合室に砂利ホームと北海道のローカル駅らしい構成となっている。

※2022年3月12日を以て廃止されました。


 
 問寒別から上り列車に乗車し、
デッキからの前面展望を楽しみつつ歌内駅へやってきた。
車掌車待合室が雪の中に佇んでいる。

なだらかな山地と天塩川に挟まれた平地に駅はある。

 
歌内駅に到着し、世話になったキハ54を見送る。
鹿笛と思しき屋根上の付属物が特徴的である。

 
数名の乗客とともに天塩中川へ向かっていく。
雪の中を走るキハ54 500はとても絵になる。

 
駅名板にある隣の「てしおなかがわ」は
ステッカーで貼り付けられている。
2001年に廃止された下中川駅の名前がその下にあるはずだ。
 
 
歌内駅の待合室は、塗装の劣化が進んでいる。
このまま2017年3月を迎えてしまうのだろうか。

待合室の中は至ってシンプル。
 板のベンチには、駅ノートが置いてあった。
私も先人達に倣い、ここへ来た記録を一筆残した。

駅前には数件の民家が建ち並ぶ。

雪かきがされている家屋があり、
散歩をしている人もおられた。
人の体温を感じられる駅前である。

近くにはコカコーラの自販機が一台あるのだが、
「今季終了 」と掲示してある。
夏期のみの稼働なのだろうか。

小さな郵便ポストには1日1回の回収がある。

道路の先に車掌車駅舎が構える。
その存在感は鉄道駅ならではで、
バス停には表せないものだと思う。

歌内駅を背にして300mほど歩くと天塩川が見えてきた。
この道を真っ直ぐ進むと国道に出るようだ。

 
歌内地区へは地域のコミュニティバスが運行されている。

 
筬島駅?

列車を待つ間に特急サロベツがやってきた。

 
今や3両のモノクラスキハ183が
支えるのみとなった特急サロベツだが、
以前はお座敷車両が連結されることもあった。

定刻から20分遅れて最終の稚内行きがやってきた。
列車の時刻間際になりホームで待てども、
この列車は来ず、待合室に掲示された番号へ電話をかけた。
この日は雪崩の発生を憂慮され、
速度を抑えた運行をしていたため、
ダイヤが乱れたとこのと。

日が暮れて寒さが身に凍みるなか、
最終列車が運転中止になったら
どうしようかと不安になっていた。
このとき見えたキハ54の前照灯の灯りは
実に頼もしく感じられた。

降りる客はなく、私一人を乗せて発車した。
乗車した瞬間の車内の暖かさは一際であった。 

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