2018年1月28日日曜日

東鹿越駅

根室本線東鹿越駅は、木造駅舎が残る交換駅である。以前はこの駅から石灰石が発送されており、貨物列車の発着があった。その貨物列車は釧網本線の中斜里駅との間を結んでいたようだ。1996年度を以て貨物列車は廃止され、今は細々と旅客営業を続けるのみとなった。

東鹿越駅はかなやま湖のほとりにある静かな駅である。
目の前にかなやま湖があるため、景色は開けている。

駅の裏手には日鉄鉱業東鹿越鉱業所の工場がそびえる。
駅前に民家はない

入り口を支える柱はりはエメラルドグリーンに化粧され、
落ち着いた雰囲気を醸し出している。

ポストと駅の組み合わせは
どうしてこんなにマッチするのだろう?
と思うくらい良い組み合わせだと思う。


駅本屋の屋根からはつららが延びていた。

駅の目の前には広大な、かなやま湖が広がっている。

駅舎内は良く整備されており、
小綺麗にされていた。

プラベンチは4つほど。座布団が備えられていて、
冬期の利用には特にありがたい。

出入り口の上には立派な魚拓が飾られている。
さかなへんに鬼と書いてイトウと読むようだ。
幻の魚と言われるイトウ。そのサイズには驚かされる。


引き戸が人の手を介さなくても閉まるように、
ドアの上にはバネ機構?の装備がある。


東鹿越駅にも駅ノートは備えられていた。
私も一筆啓上。


駅ノートの隣には何とも嬉しい地元の方の気遣いがあった。

運賃表には新得、十勝清水と来て、
その次には帯広かと思いきや羽帯駅が示されていた。


また、待合室には蝶々の標本があった。
昆虫の知識は疎いのだが、見たことのない蝶々ばかりで
貴重そうな感じがする。


駅からホームへ向かうと、雪に埋もれた下り線があった。


この駅から新得方面は台風の影響で土砂が線路に流入し、
運休となってしまっている。
手前の黄色い標識は排雪車両への指示だと思うが、
ここから先は除雪されていなかった。


広い構内はかつて貨車の入れ換えをしていた
名残だろうと想像する。

2線あるうちの1番線(下り線)は使用停止状態。

ホームの中程には、「石灰石」と書かれた
大きな石がデンと置いてある。
東鹿越駅を象徴するものである。


側線があったと思われる構内スペースに目を向けると
動物の足跡が見つかった。
エゾシカだろうか。単独だからキタキツネだろうか。


やがて列車が到着する頃合いになると
単行のキハ40がやってきた。


列車がやってくる線路は光っていて
血液が通っているようかのようだ。
キハ40の登場が何とも頼もしく感じられた。


数人の下車があり、ここからの代行バスに乗車していた。
また代行バスから来た利用客も数人おり、
列車の中へと乗り込んでいった。


東鹿越行きのサボが作成されていた。
初めて見るサボである。


身勝手なことを思う鉄旅愛好者(自分)としては、
いつかまた、この先へと列車が走って欲しいと思う。


発車時刻の近づく滝川行き普通列車。
駅名板とともに撮影する。


モジャくんと東鹿越駅のショット。


この列車で東鹿越駅を後にする。


列車右手の車窓から見えたのは、
かなやま湖でわかさぎ釣りをするテント。
結氷して白一色となった湖面に彩りを添えていた。


東鹿越から金山の間では列車がかなやま湖を横断する。
ここからの景色は秀逸であった。


列車はとても空いており、
ゆったりと車窓を楽しむことができた。


最後にトンネルの中で車内に映える
青ボックスシートの写真で終わる。
列車は淡々と金山駅へ向かっていった。

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2018年1月14日日曜日

塩狩駅

塩狩駅は宗谷本線「塩狩峠」のサミットに位置する駅である。鉄道員であった長野政雄さんが自らを犠牲にして、連結器の外れた車両の暴走を食い止めたのがこの地であり、このことは三浦綾子さんの小説「塩狩峠」を通じて広く知られている。
私が訪問したのは冬期で、木造駅舎が冬晴れの中、凜と佇んでいた。



塩狩駅は旭川から宗谷本線を北に30キロ弱。
駅のそばには三浦綾子さんの旧宅である塩狩峠記念館と
ユースホステルである塩狩ヒュッテがある。



旭川から乗車した普通列車は20‰を越える塩狩峠の急勾配を上りながら、駅へと近づいていく。


2台エンジンを積んだ強力な脚を以て峠を登るキハ54 529。

カーブの先に場内信号が見えてきた。
間もなく塩狩駅である。

駅は峠のサミットにある。
うなり続けたエンジンがホッと一息つくかのように
鳴りを潜める。

駅に到着したキハ54は息を整えているかのようだ。
下車したのは私一人であった。

対向ホームには交換待ちをしていた旭川行きが
出発を待っていた。

構内踏切を通過していく旭川行き快速なよろ。
乗客は多いようだ。

排気ガスに含まれる水蒸気が寒さで
湯気となっている。

やがて私を降ろした下り列車も
静かに出発していった。

さすが峠のてっぺんとあってか、雪の量は多い。
駅名標が雪に埋もれようとしていた。

駅舎はホームから少し高い所にある。
雪かきは綺麗にされていた。

駅舎の屋根からはたくさんのつららが垂れていた。

この時の気温はマイナス7℃。
北海道としては決して厳しい寒さではない。
陽が出ていたこともあり、寒さは感じなかった。


待合室の窓には氷の結晶が現れていた。
何とも綺麗な造形である。

待合室は比較的広い。
保線関係の業務用部屋とを結ぶ煙突が
部屋を暖めてくれる。


待合室のベンチは昔ながらの木製タイプ。


駅ノートが備えられていたので、
ご多分に漏れず私も記録を残す。


塩狩駅のそばには塩狩ヒュッテがあり、
カフェの他に宿泊もできるようだ。
寒いときに暖まるランチや珈琲をとれたら
実によいだろうと思う。
東六線駅へ行ってくるプランなども
書かれているあたり、
鉄人の利用が多いのだろうと想像する。


こちらが駅のそばにある塩狩ヒュッテ。
ここへ宿泊してラッセル車の撮影などしてみたいものだ。


ヒュッテのそばには塩狩峠の標柱がある。
この通路は先の分岐器まで続いているようで
保線の方々が路を拓いたようだ。


長野さんの碑は深い雪に埋もれかけていた。
長野さんへ向けて合掌した。


国道へ出てすぐの所に塩狩のバス停がある。
ここで道北バスに乗り、名寄を目指す。


バス停のそばにはコンビニがあるのだが、
このときは営業していなかった。
雪かきがされていなかったことから、
季節営業なのだろうか。


予定より20分ほど遅れてバスがやってきた。
もしかして早くバスが来たのかとも思い
少々焦ったのだが、無事に乗車することができた。
このバスに乗り、塩狩峠を後にした。



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