2020年4月19日日曜日

五能線 キハ40系の旅

五能線は日本海の風光明媚な景色が楽しめる路線として有名で、1990年から観光列車ノスタルジックビュートレインが走り始めた。秋田と青森に新幹線が通じる今、JR東日本は五能線の観光列車に対してかなり力を入れているようだ。観光列車に注目が行きがちな路線であるが、普通列車で活躍するボックスシートの並ぶキハ40系もまた大きな魅力である。今回は、川部から東能代までキハ40系のボックスシートに揺られて五能線を堪能してきた。


出発は川部駅。木造上屋のあるホームにキハ40が停車中。側線にはホキ800が留置され、あたかも国鉄時代のような光景である。


五能線のキハ40系ではサボが活躍している。キハ40でもサボを使わないケースがある中で嬉しいことだ。五能線は多様な行き先があるということなのだろう。


川部駅は五能線の終着駅である。上り普通列車を乗り継いで147.137km先の東能代駅を目指していく。


川部を出ると、列車はりんご畑の中を進んでいく。赤いりんごが鈴なりに実っていて、青森らしい風景である。列車左側に見えるのは津軽富士こと岩木山。各ボックスに一人か二人程度の乗客を乗せて五所川原へと進む。


川部からおよそ30分で沿線の主要駅、五所川原へ到着。ここで大量の下車があり、まとまった乗車もありで乗客が入れ替わったかのようだった。乗車していた2両目はここから15名ほどになった。

五所川原を出てから、途中駅へ着く度に少しずつ空いていく。鈍行列車らしいゆっくりとした時間が流れる。岩木山を眺めながらボックスシート寛ぐ時間は至福である。


鰺ヶ沢駅へ到着。秋田犬「わさお」で有名なきくや商店への最寄り駅である。きくや商店のイカ焼きと、わさおを目指して、いつか下車してみたい駅である。

乗客のほとんどは鰺ヶ沢駅で下車し、2両目の乗客は自分を含めてたったの二人となった。このようなガラガラの状態でボックスシートの鉄旅を堪能できるとは素晴らしい。自分のような鉄旅愛好者は身勝手なもので、ローカル線の繁栄を願いながら、自分行くときは空いていて欲しいなどと考えてしまう。


鰺ヶ沢を出ると列車右手には日本海が見えてくる。ここからは日本海に沿っての旅となる。


鰺ヶ沢駅から3駅ほどの北金ヶ沢駅で列車交換のため、暫しの停車。この駅には木造駅舎が残っている。


汚れが目立つ外観ではあるが、塗膜や外版が剥がれるような状況は見られない。五能線は塩害の影響が大きいと思われるが、キハ40の持って生まれた耐久性と良好なメンテナンスあってのことだろう。


北金ヶ沢駅で行き違いをしたのは観光列車リゾートしらかみ。貫通路越しでも客室の窓の大きさがわかる。


北金ヶ沢を出ると再び海が近くなってくる。この日は暖かく、窓を開けながらの車窓を楽しむことができた。


風情のある駅名、風合瀬(かそせ)駅。

列車は間もなく驫木(とどろき)駅へ到着する。この駅には上下列車を利用しながら訪問した。

驫木駅から追良瀬駅を過ぎるとその次は広戸駅となる。広戸駅から深浦駅は五能線車窓のハイライト。この区間は窓に釘付けとなってしまう。(写真はリゾートしらかみでこの区間を行き来した際のもの)

翌朝、広戸駅へ訪問の後、再び乗車した普通列車の乗客は私一人。この日も比較的暖かかったこともあり、窓を開けて五能線のハイライト区間を楽しんだ。2:18~、2:38~あたりが特におススメ。


そして深浦駅へ到着。この日は田中旅館で一泊し、翌朝の列車で旅を再開する。


日没前に深浦駅から徒歩10分ほどのところにある大岩へ行ってみた。トンネルをくぐって上にあがると、まさに夕日が沈まんとするタイミングであった。


夜の深浦駅。

日が変わって朝の深浦駅。早朝の広戸駅訪問後、五能線キハ40の旅を再開する。

刈り込みの終わった田んぼ越しに日本海を眺める。

深浦から東能代側の景色も変化に富んでいて、所によってはこのような景色も。単に海沿いといっても決して飽きることとはない。

十二湖駅の手前(だったと思う)では、道路よりも線路のほうが海へ近づき雄大なカーブを描く。ここも中々の見どころである。

大間越~岩舘の区間は県境となり、線路は高度を上げて白神山地の先端を走っていく。急こう配の続く区間ながら、強力型エンジンに換装されたキハ40は力強く進んでいく。ここは五能線第二の見所である。

大間越からおよそ13分間走り、県境を越えて岩舘駅に到着。列車の行き違いのため、川部方面行のタラコ色キハ40系がこちらの列車を待っていた。

八森を出て風力発電所の風車が見えると、日本海とはお別れとなる。

岩舘から能代へ向かって乗客がだんだんと増えてきた。そして秋田県側のメインの駅、能代駅へと到着。

バスケットボールの強豪校、能代工業高校に因んでか、向かい側ホームにはバスケットゴールがある。

そして終点の東能代駅へと到着。さすがは観光列車が走る路線だけあって、素晴らしい車窓を堪能できた。大好きなキハ40系に乗っての旅行。これが私にとって大きな贅沢であった。

東能代駅内のNewDaysには有名駅弁の鶏めし弁当が売られていた。大好きな駅弁だけに脊髄反射で買ってしまった。

その後乗車した特急列車内で食べた鶏めし。やはり味はピカイチであった。


2020年3月8日日曜日

新十津川駅

農村地帯を走ってきた札沼線のディーゼルカーは最後に市街地へと入り、終点新十津川駅へと到着する。一日一本の列車を向かえるだけのこの駅には風情のある木造駅舎が残っている。

※2020年5月7日(最終営業は同年4月17日)を以て廃止されました。

新十津川駅は人口6500人の新十津川町の中心部にある。町役場や高校、病院などが駅の周辺にあり、駅のロケーションとしては良いのだが、利用客は少ないようだ。


晩生内駅から乗車した一日一本の新十津川行き。車内は盛況でほぼ全員が旅行者と見える。


速度を落とし、新十津川駅へと到着する。数名のお出迎えがあるようだ。


新十津川の表示も廃止とと共に見られなくなってしまう。


駅では近くの保育所の先生と園児がお出迎えをしてくれた。下りてきた乗客にカードを配ってくれている。


私も一枚頂いた。実に微笑ましいカードである。小さい子供が描いてくれたであろう塗り絵は一番の記念になった。


この駅には今まで3回来たことがある。過去2回は下りると同時に皆、滝川駅へ向かうバス停にそのまま向かっていたのだが、廃止が決まっているせいか今回は駅に滞在してその時間を楽しむ人が非常に多かった。私も今回は上り列車の発車を見送るまで駅に滞在することにした。


経年のせいか、駅名板はかすれかけている。屋根の塗装も良い具合に褪色していて、ローカル線の木造駅舎らしい佇まいを見せていた。


廃止前とあってか、駅の窓口が復活し、ご当地入場券やグッズが売られていた。窓口が生きているだけで活気が全然違う。

窓口で購入したのは、新十津川駅のご当地入場券と縦書きホーロー駅名板を模したマグネット。今しか買えないと思うとついつい手が出てしまう。


列車は一日一本。近くに高校があるのだから、昔の清水港線のように、たとえ一本であっても高校生が使いやすいように出来たらと素人ながらに考えるのだが、列車が三本の時代から朝到着する列車は9時を廻っていていた。実際のところ、病院や役場へ行く人の利用が主だったのかもしれない。


駅管理する人が駐在しているためか、次の改札の札が掛けられていた。新十津川駅でこの札を見られるとは思わなかった。


暫くすると写真撮影をしていた利用客は散っていき、駅は静寂になってきた。


窓枠は昔ながらの木枠。窓際のベンチは木製となっていて、このあたりは駅舎が出来た当時からそのままかもしれない。


壁に貼ってあるのは昔の北海道の路線図。これほどまでに路線があったのかと改めて驚く。私は辛うじて深名線に乗車することの出来た世代の人間である。羽幌線や天北線に乗って、駅や仮乗降場に乗り降りしてみたかった。


ホームでは上り石狩当別当別行きが発車を待っている。下り列車よりかは空いているようだ。


新十津川駅の駅名標は終着駅らしく、隣駅の表示は片側のみ。


私が新十津川駅へ行くのは、この旅行が最後となる。列車がホームに佇むこの光景を脳裏にしっかりと焼き付けた。


一日一本の列車は定刻通りに新十津川駅を発車していった。毎日繰り返されるこの風景も2020年5月6日を以て見納めとなる。


こちらは鉄旅の先輩であるJ氏から提供してもらった新十津川駅の全景写真。ほのかに秋の様相が感じられる時期のようだ。


雪化粧した新十津川駅。


J氏が訪問した時は、かなりの雪が降った後のようで、雪は屋根に届かんばかりに積もっている。

長らく新十津川駅を見守ってきた車止め。


J氏撮影の写真(Picture from J氏)の使用、転載はお断りします。


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