山岳トンネル駅として有名な土合駅を訪問しました。
1994年2月13日のことです。
前日の12日は関東で大雪となりました。
高崎線の車窓から見た籠原駅付近の光景。
線路が雪をかぶっています。
線路が雪をかぶっています。
高崎駅へ到着。
隣には信越本線長野行きの115系が発車を待っていました。
当時は横川~軽井沢間が、信越本線として健在でした。
隣には信越本線長野行きの115系が発車を待っていました。
当時は横川~軽井沢間が、信越本線として健在でした。
後閑駅だったと思います。
新潟色の115系でした。
新潟色の115系でした。
後閑駅で電気機関車に牽かれた12系の団体列車が通過してきました。
いまや12系はイベント用に僅かが残るのみとなりましたが、
この当時は臨時列車用として多くの活躍をしていました。
いまや12系はイベント用に僅かが残るのみとなりましたが、
この当時は臨時列車用として多くの活躍をしていました。
お目当ての土合駅へ到着です。
ホームから見上げた階段。
ひたすら真っ直ぐ登るので、見上げると長さが強調されます。
ホームから見上げた階段。
ひたすら真っ直ぐ登るので、見上げると長さが強調されます。
長い階段を登り切って駅舎へ着くと、駅舎には列車利用者と思われる人がいて、
上り列車のことを教えてくれました。
上り列車は石内発一番列車が土合駅構内へ侵入する際に
雪の吹きだまりに突っ込んで動けなくなったのこと。
駅舎のドアを開けると、吹雪の中で動けなくなっている115系の姿がありました。
上り列車のことを教えてくれました。
上り列車は石内発一番列車が土合駅構内へ侵入する際に
雪の吹きだまりに突っ込んで動けなくなったのこと。
駅舎のドアを開けると、吹雪の中で動けなくなっている115系の姿がありました。
このとき乗客は辛うじてホームにさしかかっていた
先頭の運転台から乗降ができるように配慮されていました。
前方の視界はご覧のとおりで、ホワイトアウト状態です。
先頭の運転台から乗降ができるように配慮されていました。
前方の視界はご覧のとおりで、ホワイトアウト状態です。
作業員の方々の懸命な除雪活動が続きます。
水上方から除雪工事車がやってきて
漸く 線路が開かれました。
漸く 線路が開かれました。
土合駅ホームへ到着した115系6両。
床下には雪がびっしりついています。
床下には雪がびっしりついています。
連結部もご覧のとおり、雪まみれです。
上りホームは一面雪に覆われていました。
車内から見た土合駅の駅舎建物。
凄まじい雪の量です。
結局土合駅を出発したのは11時半頃でした。
定刻なら6:58に出発しているはずでしたので、
実に4時間半の間、雪との闘いがあったことになります。
凄まじい雪の量です。
結局土合駅を出発したのは11時半頃でした。
定刻なら6:58に出発しているはずでしたので、
実に4時間半の間、雪との闘いがあったことになります。
水上駅へ戻ってきました。
上り線が開通すると、貨物列車を始め続々と上り列車がやってきます。
上り線が開通すると、貨物列車を始め続々と上り列車がやってきます。
一駅となりへ移動して上牧駅へ。
まずはC58 363の下り列車を撮影。
上りはC58とD51の重連が運転されます。
まずはC58 363の下り列車を撮影。
上りはC58とD51の重連が運転されます。
重連の上り列車を待っている間に、
583系の臨時列車がやってきました。
583系の臨時列車がやってきました。
115系湘南色の普通列車。
水上以南の列車は定刻通りに運転されていたと
記憶しています。
何故か幕が「臨時」となっています。
定期列車だったような?
長い間上牧駅で待って、SL列車がやってきました。
先頭はD51 498、後ろはC58 363です。
このときの寒さはかなりのもので、アルバムを見ると
「手も、足も、耳も痛くてカイロが
役に立たなかったのがつらかった」
と書いてありました。
高崎駅へ戻り、上信電鉄に乗車します。
山名駅まで行き上り列車を待ちます。
お目当ては元西武451系。
果たしてこの列車はその元西武451系でした。
水上以南の列車は定刻通りに運転されていたと
記憶しています。
定期列車だったような?
先頭はD51 498、後ろはC58 363です。
このときの寒さはかなりのもので、アルバムを見ると
「手も、足も、耳も痛くてカイロが
役に立たなかったのがつらかった」
と書いてありました。
お目当ては元西武451系。
果たしてこの列車はその元西武451系でした。
高崎駅へ戻りました。
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余談ですが、土合駅で待っている間、駅前の商店でもあれば、
カップラーメンでも買えないかと、駅舎を後に外へ少し歩き出しましたが、
凄まじい吹雪で自分の足下の階段以外は全く何も見えない状態でした。
あまりにも怖くて目の前にだけ見える階段を一歩一歩戻って
駅舎へ戻りましたが、吹雪の恐ろしさを実感した時でした。
後日、土合駅を再訪する機会に恵まれましたが、
駅前に商店はなく、あの時駅から離れて彷徨っていたら
何も得られず、吹雪の中で戻る方向を見失っていたかもれません。
オーバーな言い方ですが、今生きていることに感謝です。
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おしまい。